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美ぎスマ
2019年3月30日(土)8:54

【美ぎスマ】親子2代町長 川満正公、省三さん/下地地区上地集落

 1972年の本土復帰後、宮古では道路や港湾、空港、農業基盤整備など交通や産業の基盤が発展した。自動車は1家に約2台の時代。家庭にはカラーテレビ、冷蔵庫や電気洗濯機が備えられ、生活が豊かになった。復帰後の激動の時代に、旧下地町では上地真幸さん(故人・洲鎌出身)、川満正公さん(故人・上地)下里功さん(故人・洲鎌)、上地武則さん(故人・上地)、川満省三さん(70・上地)らが町長を務め町の産業や暮らしの向上に尽くした。川満正公さんと省三さんは上地から誕生した親子2代の町長。親子ともに温厚で誠実な人柄などが支持を受けた。上地村(現在の上地集落)は1663年、洲鎌村から分村した。上地の2月末現在の人口は900人(男性429人、女性471人)、世帯数は353戸。

誠実な人柄親しまれる/上地集落から誕生


川満省三さん

川満省三さん

 川満省三さんは宮古地区5市町村の合併に伴い2005年9月30日に2期目の町長職を終わった。現在は農業をしながら、下地地区地域づくり協議会長や下地地区さとうきび生産組合長などを務めている。

 取材で訪ねた時「今までサトウキビを収穫してきたよ」と、帰宅は午後6時ごろだった。「農業は楽しい。もうかる農業をやって見せたい」と、まだまだ意気盛んだ。

 父川満正公さんは復帰後最初の町長選挙に出馬し、現職の上地真幸さんに僅差(きんさ)で勝った。川満町長は「農業の発展無くして町の発展はない」と考えて、農業の基盤となるほ場整備を先行させた。下地でのほ場整備は川満集落で最初に行われ、現在は7割以上の畑で済んだ。地下ダムの水も入って高収益農業が営まれている。

 正公さんの生家の隣に住む男性は「キビの草取りをしていると、通りがかりに車から降りて頑張っているねと励ましてくれた。頭が低く上に立つにふさわしい人だった」と人柄の良さを話した。

 正公さんは長年戦傷病者相談員を務め1989(平成元)年4月、「勲五等瑞宝章」を受章した。

 川満省三さんは、正公さんの三男。小学生のころはやんちゃだったそうだが、今では「誠実で腰が低く、面倒見のいい人」と周りの人物評価は高い。「土、日も返上して畑仕事に精を出し、息子2人(大学生)の学費を稼いでいた父の姿が自分にも力をくれたのでは」と話した。

 省三さんは復帰前の1971年、役場とは別組織の下地地区教育委員会に採用された。復帰後は役場職員になった。教育課長や民生課長、保健福祉課長、経済課長、農村整備課長などを歴任し1997年、助役に就任。1998年9月、無投票で町長職を上地武則さんから引き継いだ。任期中は多くの農業補助制度を設け農家の経済を支援。「農業面には力を入れてきたつもりだ」と語った。

 省三さんは下地青年会バレーボールチームのメンバーとして、県大会で優勝、全国大会に出場した名プレーヤー。ビーチバレーボール大会場を決める会議の時は、下地に与那覇前浜があることや、バレーボールへの熱い思いを語り掛け、誘致に成功した。

 目配りして育てた職員らは、市役所の中堅幹部として活躍している。後輩からの信頼が厚く結婚の仲人は35組ぐらい引き受けた。

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