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美ぎスマ
2019年7月31日(水)8:54

【美ぎスマ】厳しい時代「結」で乗り越える/上野地区上野集落

アグ、トゥンガラ絆強く/今はゲートボール楽しむ


上野集落の老人クラブの皆さん

上野集落の老人クラブの皆さん

 上野集落では立派な住宅がた建ち並ぶ。自家用車は1家に1~2台。水道も電気、ガスも家庭まで引き込まれ、テレビや冷蔵庫、洗濯機もあり、豊かな生活が営まれるようになった。先輩たちの努力が今の豊かさを築いてきた。

 砂川勝栄さん(91)は、学校を卒業すると防衛隊(地域防衛隊)に召集された。重い鉄砲を手に実射訓練をして敵軍上陸に備えた。来間島から保良沖まで並んだ敵艦隊の艦砲射撃も目の当たりにした。子供は7人。「妻のおっぱいだけで育ったよ」。ぜいたくのない質素な子育てだった。

 ゲートボール練習場には、大勢の仲間が集い昔の貧乏話に花を咲かせた。「パンツをはいたことはなかった」「食べ物はイモばかりだった」。戦中、戦後のころは食糧や物資が不足していた。

 終戦から10年近く経ったころには、黒糖生産が復活し現金が少し入るようになった。サトウキビ(黒糖原料)の収穫はユイマール。みそは原料の大豆や麦を自家栽培し、近所の人たちが協力してこしらえた。台風で住宅が倒壊すると、近所の人たちが力を合わせてすぐに、建て替えた。イモや野菜など食糧のほとんどは自給自足し、近所にもお裾分けした。

 砂川トミさん(91)は、今年もナスやブロッコリー、キュウリなどの苗を約100鉢作り、近所の人や親戚に配った。砂川さんの「ボランティア苗作り」は約10年続いているという。ナスの苗をもらった砂川芳一さんは「今年もトミさんの気持ちをおいしくいただいた」と感謝した。

 今年は1945(昭和20)年の終戦から74年。戦後の宮古島の発展は先輩たちの努力を土台に、助け合いの精神(ユイマール)や平和も大きな力になってきた。

 上野集落の老人クラブは毎週土曜日、ゲートボール場に集まり和気あいあいと過ごしている。土曜日の集いは健康増進と互いの健康を確かめ合う場にもなっているという。17日は宮古地区老人クラブ連合会ゲートボール大会に出場し、練習の成果を発揮したが惜しくも宮古代表には入らなかった。

上野集落の沿革


「上野村発祥の地、昭和23年8月1日創立」と刻銘した石碑

「上野村発祥の地、昭和23年8月1日創立」と刻銘した石碑

 上野集落は旧上野村が旧下地村から分村した1948(昭和23)年、旧下地村の嘉手苅集落から分区して誕生した。旧上野村は5坪半ほどのヤーバリ青年会場(現在の上野集落公民館)に仮庁舎を置き、行政事務をスタートさせた。公民館の門の横には「上野村発祥の地、昭和23年8月1日創立」と刻銘した石碑が建っている。

 庁舎は6回の事務所移転を繰り返し旧上野村役場(現在の宮古島市役所上野庁舎)に至ったという。

 旧上野村の分村は旧下地村役場が、上野地区から遠く離れた与那覇湾近くに所在し、役場との行き来に不便をきたしていたことなどが、きっかけになった。分村前に旧下地尋常小学校に通っていた上野集落のお年寄りたちは「学校まで片道30分はかかった。道路は凸凹で突き出た石につま先をぶつけてけがをすることも多かった」と話していた。

 上野集落では農業(サトウキビ、野菜、マンゴー、葉タバコ栽培など)が盛んに営まれている。6月末現在の人口は208人(男性97人、女性111人)、世帯数は106戸。

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