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花は島色
2019年9月15日(日)8:54

【花は島いろ】ゴンザレス紀子さん(50歳)/ZUMI CAFE経営

お客様に“ズミ”な時間を


ゴンザレス紀子さん

ゴンザレス紀子さん

 【那覇支社】宜野湾市の県道81号線を車で走ると、アメリカンなデコレーションの入口が思わず目に留まる。扉を開ければ、色鮮やかな店内に美味しい香りが広がる。平良西辺出身のゴンザレス紀子さん(50)=旧姓池間=が経営するZUMI CAFEだ。ZUMI(ズミ)は、宮古の言葉で「最高」や「上等」の意味。

 実は紀子さん、西辺中3年の時に砲丸投げで県3位、宮古高校1年の時には円盤投げで市記録を44年ぶりに塗り替えた凄腕の持ち主。6人兄弟の4番目に生まれ、学校帰りは毎日近くの川で泳ぎ、走り回るお転婆な女の子だった。

 小学校、中学校と1クラスしかない家族のような環境で育ち、バレー部と陸上部の二刀流で活躍するが、砲丸投げで県3位を獲得したのには、あるきっかけがあったという。

 西辺中3年の時、陸上大会の砲丸投げで優勝するも、「この記録では県大会は難しい」と指摘される。さらに厳しい練習を始め、夜には一人で体育館の階段往復20回のダッシュを続けたことが、活躍につながった。紀子さんは「練習すればできる。自分の能力に気付かないなんてもったいないと学んだ」と話す。

 その後、沖縄国際大学に進学して競技を続ける一方、教員免許取得にも挑み、目標を達成して卒業する。ただ、これまでの頑張りで疲れもあったのか、紀子さんは「卒業証書をもらった途端、バーンアウト(燃え尽き症候群)になっちゃって」と振り返る。

 そんな時、米兵の御主人と出会い、26歳で結婚して28歳には渡米。アメリカではホームセンターでアルバイトを始め、実力を認められてスーパーバイザーに就任する。軌道にのったところで再び沖縄へ戻った。沖縄では中古車店の事務仕事を始めたが、「保険の資格を取ろう」と目標を設定し、6年で売り上げトップになる。

 再び渡米した時、「次は自分で起業したい」と、経営や仕入れを学ぶためレストランのアルバイトを始めたことが、今の基盤になっている。

 その後、御主人の提案で沖縄を永住場所に決め、宜野湾にZUMI CAFEを開業。人気店へと成長した。紀子さんは、「全て、一人ではできなかったこと」と、出会った人たちに感謝の言葉を語る。

 頑張りの原動力については、「親の気を引きたかったのかも。父が亡くなった時、無意識に『私、頑張ったよね』と父に向かって言っていたので」と話した。

 今年の年末には弟の「シーブ」で家族全員が宮古に集まる。「今があるのも宮古で頑張れたから」と、穏やかな笑顔で語った。

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