三角太郎さん(49歳)/「日本透析生活情報協会」代表理事
伊良部島を本部に情報発信
父親の病気をきっかけに、伊良部島で人工透析患者を支援するNPOを立ち上げた。住み着いてから3年半、島の人に廃屋を借り受け自ら改装し、今では立派なスタジオ兼住宅に。全国に約30万人いるといわれる人工透析患者のために必要な情報網を作ろうと「JinTV」というプロジェクトを設立。2年前、沖縄県知事からNPO法人として承認され、那覇地方法務局宮古島支局への登記も済ませた。現在、開局に向けての諸準備に追われる。
7年前、父親が透析患者になった。本人はもちろん、家族はこれまでまったく知らなかった世界に慌て戸惑った。旅の好きだった父親は、拘束された生活にうつ状態となって家に引きこもる。「4年前、そんな父を少しでも元気付けようと母と一緒に連れてきたのが伊良部島だった。もちろん、透析ができる病院があることをネットで調べた上での行動だった。約一カ月で、父は元気になった」
こうした体験を通し、透析患者がいかに情報不足で不自由な生活を強いられているかということに気付く。両親を東京に帰し、三角さんは一人で島に残ることにした。透析患者に必要な情報をこの島から発信しようと思ったからだ。「20年前から東京は人の住む場所ではないと思っていた。伊良部に来て、この島には人が生きていく上で必要な物がすべて備わっている。そして、余計な物がないと思った」
透析生活専門のテレビ局を開設しようと事業構想を練り、決心を固めた。軽トラックに荷物を積み込み、フェリーで2泊3日かけて伊良部島に上陸した。三角さんは、これまで、映像や広告の制作会社を自ら創業し会社経営の視点からイベントを提案するプロデューサーとして活動してきた。「ネットの世界で、今回のプロジェクトへの思いを発信することで、多くの仲間ができた。それも必要な能力をもった人たちが集まってきた。いま、信じられないほどの広がりで、前進している」
「約2年かけて改装したスタジオが本部で、みんなの別荘。仲間の心を捉えたのは伊良部島だったと思っている」と話し、それは、観光にも大いに結びつく発想だった。
三角 太郎(みすみ・たろう)。1962年10月5日、東京で生まれる。25歳で家業(出版版下制作)を継ぎ社長に。同時に映像・広告の制作会社を設立。30歳からはフリーの経営コンサルタントとして活動、2008年に伊良部島に移住。09年NPO法人日本透析生活情報協会を設立。