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ペン遊・ペン楽
2011年9月21日(水)22:50

与那国小唄/加島 良枝

2011.9.22  ペン遊ペン楽

 

 女心と秋の空とでも言おうか。以前から彼女が誘い始めた旅に、行く気になった。気まぐれな秋風に誘われるように、2人、旅にでた。


 とはいえ、働き盛り?の女の2人の旅行は大変だ。仕事はとりあえず一段落させ、家庭のもろもろも何とか片付け、やっと飛行機に乗り込むと、旅の始まりが現実となり、急にワクワクした。これも旅の醍醐味だ。石垣空港を乗り継ぎ、着いたぞ! ここが与那国島。日本最西端の地に初めて足を踏み入れた。

 3年前から仕事のため、島に移住している同級生の玄君に連絡すると、与那国空港に迎えに来てくれた。彼は空港内の食堂で、私たちに与那国そばをごちそうしてくれた。そして私が手みやげに持参した宮古そばを、食堂の奥さんに何やら頼みすぐに料理してもらった。私たちがびっくりしていると、「与那国そばもおいしいけど、俺は宮古そばが食べたかったさあ」とにんまり笑った。どこにいても故郷の味に勝る物はないらしい。しかし、与那国の食堂で宮古そばを料理してもらうなんてずうずうしいなあと苦笑したがすっかり島の暮らしにとけ込んでいる彼をほほえましくも思った。

 車窓から見える山々は島の面積が小さい分間近に見え圧倒される。最近襲来した台風の影響で山の岩肌が大きくえぐれているのが痛々しい。平坦な宮古島と違って、山の多い与那国島のドライブは、道路の傾斜が多くギアを低く入れてやっと登れる坂道や、急な下り斜面と同時に、目前に迫ったみごとな海の碧さに息をのんだり、海沿いの大きなカーブの道路なのにガードレールはなく、足元がすくわれるような感覚に、ひやひやしながら車を走らせていると、いたるところにある牛や馬の糞に「わー」と叫んだりしながら、とうとう日本最西端の地の碑にたどり着いた。島には観光コースなど無く、気の向くままがコースだった。

 夕方、久部良漁港で見つけたはしごを立てて、こわごわ登り、堤防に並んで座った。せわしい毎日の繰り返しの中、夕日が沈む瞬間を見るのはどれくらいぶりだろうと思った。

 島唯一の居酒屋「海響」では玄君の仕事仲間が皆で歓迎してくれた。娯楽場は無いけど島では体育館でバスケットボールをしたり、野球をしたり、海で泳いだり、みんな仲が良い。沖縄本島から嫁いできたというみすずちゃんは、両親は心配したけどここへ来て良かった、と話していた。島の祭りは島人みんなが楽しむ。素朴で陽気な人柄にふれ心が温かくなった。人とのつながりが生活や仕事を支えていると玄君は言った。自分のことだけでなく、相手やその周りの人の都合も考えてつなげることの大事さをこの島の人たちは知っている。いつしか私たちが忘れかけた大切なモノがここにはあることを感じた。

 店を出ると、軽トラックが目の前に止まった。運転席にはみすずちゃんが笑っている。みんなを送るのはいつものことらしい。皆当たり前のように荷台に乗り始めた。夜風がとても心地良い。余計なものなどない島の夜は満天の星空が本当にきれいだった。誰かが与那国小唄を歌い出すと手拍子とともに皆も歌い出した。私も負けずに続いて宮古豊年の歌を歌った。走る車からの大合唱は、夜風にのってどこまで届いただろう。

 波にポッカリ浮く与那国の♪
 歌と情けのパラダイス♪

(宮古ペンクラブ会員・団体職員)


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