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まちからむらから
2011年10月29日(土)22:50

スポーツ文化で地域を元気に/下地

下地総合スポーツクラブ


幼稚園児から高校生までの子ども太鼓教室は50人が登録。下地フェスティバルでデビューを飾った。

幼稚園児から高校生までの子ども太鼓教室は50人が登録。下地フェスティバルでデビューを飾った。

 下地を構成している大字は、川満、上地、洲鎌、嘉手苅、与那覇、来間の六つ。近世においては、これらはすべて下地間切に属し「村」と呼ばれていた。さらに小字になると、川満21、上地29、洲鎌17、嘉手苅24、与那覇25、来間11、計127となった。なお戦後の1948年、上野村の誕生に伴って嘉手苅24のうち、9小字はそっくり上野村に移ったために現在は118の小字となっている。こうした集落に大小含めて計104件の拝所があり、年間を通した祭祀なども行われている。純農村地帯ではあるものの、1984

7月に開講した人気の高いノルディック

7月に開講した人気の高いノルディック

年にホテル宮古島東急リゾートがオープンしてからは、観光を意識したイベントや祭りなども盛んになった。


 健康で豊かな生活のために軽スポーツを楽しみ、体力づくりと仲間の輪を広げようというユニークな取り組みが話題を呼んでいる。世代を超えた会員をまとめる下地総合スポーツクラブ(洲鎌勝彦会長)。5年目を迎える同クラブは「だれでも」「世代をこえて」「好きなレベルで」「いろいろなスポーツに挑戦」をモットーに会員を増やす。クラブマネージャーの洲鎌菜保子さんは「小学生から高齢者まで自分に合ったスポーツを楽しみ、触れ合いの中で楽しい時間を共有してほしい」と話す。

 軽スポーツのメニューは、グラウンドゴルフ、子ども太鼓、ノルディックウオーキング、筋トレ&ストレッチ、キンボール、昔遊び、シーカヤックなど。このほか、年間活動の中にはAED実技講習会やテーピング講習会、記念講演なども盛り込まれている。スタッフは20人の理事、クラブマネージャー、事務局で構成され、毎月1回の理事会で企画立案がなされる。現在会員は100人。

 2004年、文科省の委託事業でスタートした同クラブは、07年に独立、最初はグラウンドゴルフが主だったが、11年度から軽スポーツのメニューを増やし、会員層も大人から子供までとした。マネージャーの洲鎌さんは「7月に全10回の講座でスタートした『筋トレ&ストレッチ教室』は70人の受講者で大人気、閉講後はサークルを結成すことになった」と話し、仲間の輪が広がることを喜ぶ。

 洲鎌会長は「子どもから高齢者まで自分にあった種目に参加して汗を流すことで健康な体力づくりにつながる。会員相互の親睦と健康増進を図り、明るい下地地区民を目指したい」と意欲。

 下地公民館2階にある事務所の連絡先は0980-76-2626(ファクス兼用)

伝統芸能の共演/第1回 下地フェスティバル


川満の「笠踊り」は、豊年祈願などで踊られる

川満の「笠踊り」は、豊年祈願などで踊られる

 合併後「十五夜フェスタ」として行われてきた祭りを、下地地区地域づくり協議会(川満省三会長)を中心に青年会も共催で実行委員会を結成し、23日下地庁舎前の池原公園で初のフェスティバルを開催した。方言ホラ吹き大会や、崎田川アーグ大会、集落ごとの伝統芸能など地域色豊かに繰り広げられた。

 祭りの出だしはツヌジ御嶽での豊年祈願から。午前8時、上地と洲鎌集落のツカサ・ユーザスを始め、奉賛会の役員、部落の区長など約40人が参加した。祈りの後は、全員でクイチャーを踊り、祭りの成功を祈った。川満会長は「合併しても下地住民の思いは変わらない。祭りを通し、その気持ちを確認したい」と話した。 

 以前はメーン通りで引き踊りとして展開されてきた伝統芸能は、今回公園の広場で集落ごとに披露された。最初は、川満集落の「棒振りと笠踊り」。若者たちの勇壮な棒振りは、昔、疫病が大流行したとき、棒と鐘を叩きながら魔物を退治したのがきっかけで、今では繁栄と豊作を祈って踊りを奉納している。花笠を手に踊る「笠踊り」は、部落の祝い事や豊年祈願などに集落内を練り歩いたのが始まり。

 次いで、高千穂集落は「佐渡おけさ」をコミカルに舞い会場を沸かせた。戦前、村芝居が流行っていたころ、青年たちの間で生まれた芸能で、当時井戸掘りの完成祝いに余興として踊られた。今では、村の活性化と結束力を強める芸能となった。嘉手苅集落は、祝いの席で必ず踊られるという「なますのぐう」を、入江集落はポピュラーな宮古民謡の「豊年の音頭」を男女そろって披露した。

 琉球王朝時代、本島の国頭地方で歌われた木遣歌「国頭サバクイ」を宮古諸島では「ヨンシー」と言い、首里城の増改築に使われる材木を切り出すとき各集落から駆り出された男たちが習い伝えたと言われている。下地では、洲鎌・上地・与那覇集落に伝わるが、それぞれに役割があり、洲鎌で切り出した木を上地が運び、与那覇は作業を行う人たちを励ましたという。踊りもそれぞれの役割を舞踊で披露した。

 最後の来間集落は、島建て祭りの「ヤーマス」から青年会が「棒踊り」を披露し、参観者はそれぞれの個性豊かな芸能を堪能していた。

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