オイッ(老い)コラッ!カマンカイピリッ!(あっちへ行け!)/垣花 鷹志
2012.2.23 ペン遊ペン楽
今、五木寛之の「下山の思想」という本が話題を呼んでいます。「登って降りる。両方とも登山であり、下山に失敗すれば成功とは言えない」。山に登る人たちは、頂上を目指して登ることだけが山登りと思っているが、登山では下山のときが大事。老いの道行きもこの下山と同じ。人生のこの下り坂をどう降りていくかが大事だと言います。
老いの訪れは、まず、体力の衰えで告げられます。体だけではありません。心も疲れ、何もかもが難儀だなあという気持ちになります。心の故郷、脳神経は、生まれるときは140億あるといわれています。それが、一日に、30万個ずつ減っていきます。酒飲む人は50万個減るそうです。私は晩酌しますので、もうナカラグピン(スカスカ)になっていると思います。先日、大学のキャンパスを歩いていましたら、「先生!」という若い女性の声がします。昔の教え子かと思い、「どうですか。仕事は楽しくやっていますか」と声をかけましたら、「先生、さっきまで先生の授業を聞いていました」とのこと。アガイタンディ! オイッ(老い)コラッ! カマンカイピリッ(あっちへ行ってしまえ)!と言いたくなります。
しかし、老いも悪いところばかりではありません。そんなに悪者扱いするのもツンダラーサ(かわいそう)です。
転ばないように足もとに目をやりながら山を降りていると、一番乗りを決めようと、意気揚々と山頂目指していたときには気がつかなかった世界が見えてきます。岩陰に楚々として咲いているすみれ草にも出合います。
山路来てなにやらゆ
かしすみれ草
芭蕉
ウオーキングの後、オカリナを吹いていたら、「いい音色ですね」と声をかけてくれた初老の方がいました。「結婚を3回しました」と言います。多情の人かと思ったら、3回とも死別とのことでした。その中をタクシーの運転手をしながら、母親の違う子ども5名を育てあげたと話していました。その人の上をゆかしい風が吹いていました。
一呼吸入れようと、峠に腰を下ろしていると
振り返り返り見つれば山河を
越えてには越えて来つるものかな
河上 肇
今まで越えてきた山や河が懐かしく目に浮かんできます。越えかねている私の背中を押してくれ、おぼれかかった私に浮き輪代わりに自分の体を貸してくれている人たちの姿が目に浮かんできます。生きてきたのではなく、生かされてきたのだなあと、感謝の気持ちでいっぱいになります。
老いの寂しさは、人生劇場で主役を演じて拍手喝采を浴びていたところを、ただ時間が来たからと、定年という名の号令で舞台から下ろされることです。でも、人生劇場は脇役も大事です。100歳になっても、「生涯現役!」と張り切っているお医者さんがいますが、主役は、体力のある人たちに譲って、脇役を演じていくのも美しい老いの道行きではないかと思いますが、いかがでしょうか。
沈む夕陽に包まれて、老夫婦が、ことば少なに寄り添っています。茜色に染まる水平線の遥か彼方には、二人の魂の故郷、ニライカナイがあると言う。
(宮古ペンクラブ会員)