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ペン遊・ペン楽
2012年6月13日(水)22:31

「あの日」/仲間 健

2012.6.14 ペン遊ペン楽


 あの日、少し遅めの昼食を取るために職場のTVの前に座った僕の眼に飛び込んできたのは、とんでもない光景だった。小さな画面からでもそれと分かるほどの、港へ高く高く打ちつけられた波。まるでオモチャのように次々と流されていく車、家々が呑みこまれていくあまりにも信じられない光景に、言葉も出せずただ食い入るようにじっと見詰める同僚たち。


 大変なことが起きた-3月11日、東日本大震災による津波被害の瞬間だった。この島に住む友人、知人にもあちらの出身は多数いて、とても気にはなったけれど、本当に大変なときにどう声をかけていいか術が全く思いつかず、ところどころ入ってくる情報をただ待っていた。

 行方不明の人、増え続ける死者の数、甚大な被害が暗い影を落としたその週末そのあとに、友達と話したこと。

 実際にボランティアに駆けつけた人がいて。
 復興支援に手を貸した人がいて。

 僕自身はTVのこちら側で普通の暮らしを続けようと思った。錯綜する情報や価値観に惑わされず(あのとき、被災地以外で水と電池の買い占めが起きた)、当たり前の日々が「当たり前」に続くことの大切さ、ありがたさを身に染みて、生きることを学びなおしたいと。

 福島第一原発事故を友人宅で見た帰り路は、春の陽差しが柔らかくあまりに美しい平和な午後で、何も起きていないこの島の現実がかえって本当に恐かったことをよく憶えている。ずっとこの先も続く日常の保障なんてどこにもない、ヒトの住むこの世界は実はとても脆いものだと、足元が崩れ去る気がした。

 震災瓦礫の受け入れを反対する人々がいて、放射能が恐いその気持ちは分かるつもりだけれど、「未来を担う次世代のため」にというその言葉が、どうしても僕には引っかかるのだ。人の善意というメッセージを込めて流され続けたTVコマーシャルが程なくして終わりを告げ、普段通りの映像が戻ってきたとき、どこか心の底でほっとしたのと、罪悪感を感じた自分自身のエゴをエゴときちんと認識して、僕は目を背けたくない。「自分が恐いから」、「自分が嫌だから」-はっきりそう言ってもらった方が僕にはスッキリとする。

 目に見えない放射能の数値に躍らされて、今目の前にある瓦礫の山に苦しむ被災地の現状を見ようとしないそんな人たち、そんな自分たちの住む場所が同じ被災地となり、日常を取り戻すための手だてを拒否されたそのときに、いったいどんな言葉を発するのだろう? その手はどんな明日を夢見るのだろう?

 僕等はいつも肝心なときに必要とされる答えを先送りして、一番大事なことを見逃してきた気がする。

 あれから1年以上が過ぎて街中を歩くたび、以前は無かったものがよく目に付くようになった。ここは海抜何メートルですという標識のことだ。防災意識の高まりの一環だと思うが、避難場所の設置はどうだろう? 避難時の設定システムはどうだろう? ふと考えてみた。共同体としての疑似家族プロジェクト。一軒の家に任意で選ばれた何組かの家族が一定の期間を過ごす-世代も職種もバラバラな人々がコミュニケーションを取り互いの尊重を学んだとき、災害時において普通の人々のつながりこそが大きなパイプになると思うのだ。かつては在ったご近所さまの風景。けして起きてほしくない未来のこと、ふと考えてみた。

 人はみな物語りさくらしべふる
(宮古ペンクラブ会員)

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