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ペン遊・ペン楽
2012年7月11日(水)22:00

音を振り返る/與那覇 淳

2012.7.12 ペン遊ペン楽


 言霊といわれるように言葉には不思議な力が宿っているようだ。古代の人々は言葉には魂があると考え、その霊的な力が働いて言葉通りのことが起こると信じていたという。一時に多数の人に言葉・情報を伝達する手段として出版技術が生まれ、言葉や音をより広く伝えようとラジオや拡声器が誕生したのであろう。


 日本における最初のラジオ放送は1925(大正14)年だが、宮古で庶民がラジオ放送を聴けるようになったのは戦後のことだ。

 沖縄では、1954年に初の民間放送として琉球放送、1960年にラジオ沖縄が開局した。しかし、出力が低く宮古では聴き取ることは困難だったという。また、庶民にとってラジオは高嶺の花だったこともあり、琉球放送を中継放送した「親子ラジオ」が急激に普及したようだ。当時、市街地だけでも4カ所ほどの親子ラジオ局があったという。確か、わが家にも木製の箱に円形のスピーカーを取り付けた「子ラジオ」があった。

 その後、1964年には、琉球放送は宮古・八重山における難視聴地域を解消するために平良に中継局を設置した。これに前後して親子ラジオが衰退し、主流はトランジスタラジオに変わっていった。

 1967年12月22日に沖縄放送協会・OHK宮古放送局が開局し、テレビ放送が始まった。それまで、台風情報はラジオに頼るしかなかった。台風の動きを伝える放送を、父と共にかじりつくように聴いていたものだ。

 ラジオで聴いたニュースで記憶に残っているのは、二つの事件である。一つは1963年の沖縄本島と久米島を結ぶ「みどり丸」の沈没事件、もう一つは1965年7月24日に製糖会社の合併に農民が立ちあがった反対闘争事件である。

 番組では、歌謡曲のランキングをテーマにした「コーミンヒットパレード」をよく聴いたものだ。大学受験勉強をしたわけではないが、旺文社提供の「大学受験講座」のテーマ曲の「大学祝典序曲」(ブラームス作曲)は今でも耳に残っている。

 もっとも、印象深い番組は、1967年にスタートした「ジェットストリーム」である。

 遠い地平線が消えて…

 城達也さんの名ナレーションであまりにも有名な歴史的音楽番組である。番組のエンディングに名残惜しさを実感したのは、この番組がはじめてであった。

 振り返れば、沖縄初の民間放送・琉球放送の開局の年に生まれ、宮古でテレビ放送が始まった年に多感な中学時代を過ごしている。

 この4月末から、縁あってFM宮古のパーソナリティーをつとめさせていただいている。

 ラジオは、姿が見えないぶんだけ想像力をかきたててくれる。声には人柄、思いやり、優しさ、心の豊かさ、その人の持っているすべてが表れると思う。「また、次も聴きたい」とリスナーに思わせるような番組をめざして、自分磨きにつとめたい。言霊、言葉の魅力を信じて。
(宮古ペンクラブ会員)

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