松原 博秋さん(47歳)/「霞庭まつばら」(東京)料理長兼オーナー
日本料理を極めたい
「お客さまの笑顔が一番うれしい」と話す松原博秋さんは「霞庭まつばら」の料理長兼オーナーだ。西麻布という都内でも有数の激戦区に出店してもうすぐ2年。六本木ヒルズから数分という立地でありながら、気軽なカウンターはもちろん、接待用の個室も備え、妻の久美子さんが花あしらいをする隅々まで気遣いが行き届いている店だ。
松原さんは普段から「食材選びは任せることができないから」と毎日築地に通う。料理人と経営者の二足のわらじまでの道のりは一筋縄ではいかなかったという。
宮古水産高校を卒業後、働きながらフジ調理師専門学校の夜間部で料理全般を学んだ。
卒業後はミシュランで有名な老舗「割烹未能一」での修行を皮切りに「金沢金城楼」の副料理長から恵比寿、麻布と名だたる高級和食店で最終的には料理長までとなった。
「最初の店では電話が鳴るのが嫌でね。日本語下手だから」と笑う。言葉だけではなく、食材も宮古とはまるで違う日本料理。「見たことも聞いたこともないからね。たまの休みは辞書を買い込んでは勉強ばかり」。ここでの3年間が松原さんの基礎を作った。
師匠にほかで勉強して来いと言われて次の店では副料理長としてさらに仕事中心の生活になる。
「たまの休みはデパートでちまきを買って、分解して巻き直したり」。その当時はあえて宮古に里帰りしなかったという。
31歳で有名店の料理長。料理の鉄人などの料理番組から依頼がくるほどに腕を磨いた。
しかし、倒産の憂き目にあう。再度別の日本料理店で料理長に。今度はリーマンショックがきっかけになってオーナーから閉店したいと相談される。この10年で料理の仕事だけではなく、経営やマネージメント能力も身に付けていた。
「自分の店は夢だった」。松原さんは自らの店「霞庭まつばら」を1昨年にオープン。滑り出しは順調だったが、半年後に東日本大震災。夜の接待や富裕層が中心の店は大打撃を受けた。
「でも宮古の友達や先輩方、今までのお客さまが人をどんどん紹介してくれるんです。本当に有り難かった」
今や雑誌や本に取り上げられる名店に成長した。「これからは店の完成度を高めていきたい」と語る。
夢を叶えて自信満々かと思えばそうでもないという。「親や家族に心配かけていないかといつも考えますよ。いつか頑張っている姿を見せたい」
松原 博秋(まつばら ひろあき) 1964(昭和39)年生まれ。47歳。平良松原出身。父清二さん、母ヨシさんの次男。宮古水産高、フジ調理師専門学校卒。老舗「割烹未能一」を皮切りに日本料理一筋。日本料理の有名店で料理長を務め2010年に「霞庭まつばら」オープン。