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ペン遊・ペン楽
2012年9月26日(水)22:30

幸せのかたち/根間 郁乃

2012.9.27 ペン遊ペン楽

 

 生まれて間もない長男を抱いて、母の運転する車に乗っていたときのこと。信号待ちの間に、小柄なおばあさんを見かけた。背中は丸みを帯び、腰は曲がり、少々がに股気味に、ちょこちょこと歩いてくる。


 以前の私なら見過ごした光景だが、ふとおばあさんの、これまでを想像した。子どもを産み、重い荷物を担ぎ、家族の食事を用意する。人のために働き、重ねてきた長い年月が、あの体のかたちに表れているのかもしれない-。

 10年前に結婚し、子どもを授かった。3人姉妹で育ったため、女の子が生まれるだろうと思い込んでいたが、5カ月目の健診でエコーを撮ると〝決定的なもの〟が見えた。まるで「おれ、男の子だよ!」と教えるように小さな足を開いて、カメラに見せてくれたのである。

 運動を兼ねて職場からの帰り道を歩くようにした。途中、西里通りの一本裏手に赤嶺産婦人科という医院があった。私が5歳のときに母は妹をそこで出産したので、私も診てもらうのを決めたのだった。穏やかな口調の先生と顔を合わせると、なんとなく心が安らいだ。

 お腹も目立ってきたころ、先生が「うーん、逆子になっていますね」と少し気になるようすで言った。「直したほうがいいんでしょうか」とたずねると「やってみましょう」と先生。当日、モニターで胎児の状態を見ながら、ゆっくり時間をかけて、お腹の上に手を置いた先生が、少しずつ慎重にまわしてゆく。数十分後には逆子が直り、私は心の中で密かに先生を〝ゴッドハンド!〟と賞賛した。

 無事に臨月を迎え、10日遅れで出産した。産まれたときの感激は言葉に尽くせないけれど、その晩、夫と手を取り合い喜んだことが忘れられない。その3年後には次男もでき、同じ産院で産まれた妹と誕生日まで一緒だった。

 妊娠は全てが順調ではなく、悲しい思いを味わったこともある。けれど先生はいつでも穏やかに「次はきっと大丈夫ですよ」と微笑んだ。長い間、たくさんの家族の喜びも哀しみも見届けてきたのだろう。入院中に世話してくださった奥様の細やかな気づかい、美しく盛り付けられたおいしい料理、ベテラン看護師さんたちのアドバイスも心に染みた。

 先生はその後まもなく産院をたたんだ。宮古島で出産できる場は限られてきて、今では総合病院と開業医の二つのみとなった。時々、産院で過ごした時間を懐かしく思い返す。

 結婚や出産を経験すれば一人前という人も多いが、幸せのかたちは人それぞれで、誰かが評価するものではないのかもしれない。私の場合、母親になっても、子どもたちはみるみる成長してゆくのに、親としてはまだ駆け出しだ。家族の手を借りながら、どうにかこうにかやっている。

 ちょっとだけ変わったとすれば、いろいろな生き方を理解したいと思うようになったことだろうか。

 私もいつか、あのおばあさんのように年を取る。それまで、自分の周りにある優しさに感謝し、少しでも恩を返しながら毎日が過ごせたらいいなと思う。
(宮古ペンクラブ会員)

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