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まちからむらから
2012年11月10日(土)22:25

命の泉「山田井」語り継ぐ/平良地区島尻集落

8月に記念碑建立


山田井の手前に建てられた記念碑

山田井の手前に建てられた記念碑

 パーントゥの里で知られる平良地区島尻集落(宮良保自治会長)。農業と畜産、漁業の村として知られる。農地はバタラズの入江に向かって傾斜をなし、以前は水が豊富で稲作が盛んだったといわれる。現在人口は314人、集落内にある宮島小学校(上里雅章校長)は児童数14人(男9、女5)。少子高齢化の波が顕著。それでも昔ながらの伝統文化を大切に守り、共同体がしっかり息づいている。自治会の中には老人クラブ(喜村勇夫会長)、青年会(松川浩幸会

水道普及以前に住民に愛された山田井

水道普及以前に住民に愛された山田井

長)、子ども育成会(下地奈穂美会長)、それに山田会(島尻勝徳会長)があり、集落行事はそれぞれの組織が一丸となって取り組む。なかでも山田会は60代から70代の壮年で組織され、力を発揮する。1993年に結成、会員約40人。文化財の清掃を始め、あらゆる集落行事の中心となって活動する。


 幹線道路の南方にこんもりとした森が連なり、その下を山田井が東西に流れる。1968年上水道が開設するまで、ここは島尻で唯一飲料水や生活用水として使用されてきた。50代以上の住民の記憶の中には、泳いだり、馬を洗ったりと数々の思い出が詰まった場所でもある。この記憶を子どもたちにも残しておきたいとこのほど、自治会と老人会、山田会が中心となって記念碑を建立した。

60代-70代の壮年で結成された山田会(右端が島尻会長)

60代-70代の壮年で結成された山田会(右端が島尻会長)

 建立に至ったのは、老人会の喜村さん(80)の提案からだった。山田井には、イミヤマダとウプヤマダがあった。イミヤマダでは、女たちが洗濯をしたり、イモや野菜を洗ったりした。ウプヤマダでは、男たちが牛や馬を洗い、遊泳の場でもあった。もちろん、飲み水もここから汲んだ。ところが水道の普及と共に忘れ去られてしまった。今、きちんと場所を示さないと大事な歴史が子孫に伝わらないというものだった。

 山田会の命名も喜村さん。喜村さんは、元校長で定年退職となったとき、60歳では老人会に入会することもできないことから、60代から70代の男女を集め、会を組織することにした。そして、名前は恩恵を受けた山田井にちなんだという。喜村さんは「掘られた年代ははっきりしないが、300年前の記録によると『山田川という洞井があった』とされているようで古くから命の水として大事な場所だったことが分かる」と話す。

 喜村さんは「山田井は住民の生活と密着していながら、水難事故も一度も起こらなかった」と話し、記念碑には「水量は豊富で、干ばつにも枯れることはなく、夏は冷たく、冬はぬくもりのあるおいしい水だった。山田井のおかげで島尻の住民は健康に恵まれ、自治会も発展してきた。この大切な山田井を後世に伝えたい」と記された。


 島尻のマングローブ林は、奥行き約1㌔の入江に発達して宮古諸島内では最大規模の群落を形成している。ヤエヤマヒルギ、オヒルギ、メヒルギ、ヒルギモドキ、また宮古を北限とするヒルギダマシなどが見られる。マングローブ林は「海の森」とも呼ばれ、特殊な生態系を持つ。干潟にはオバシギやダイサギなどの野鳥、ヒメシオマネキ、オオアシハラガニモドキ、クマドリオウギガニ、ミナミコメツガニ、ミナミベニツケガニなど水辺の生き物たちが生息する。子どもたちが「食物連鎖」などの学習の場として活用している。

 環境保全の面でも保護する必要があると2000年、市の天然記念物に指定された。最近では、観光名所として駐車場にはレンタカーが並ぶ。地の利を生かしたシーカヤックの体験なども行われ、親子連れで穏やかな湖面の揺らぎを楽しんでいた。

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