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ペン遊・ペン楽
2013年1月23日(水)22:30

「あがいあがい!」にざわめいた琉球新報ホール/友利 吉博

2013.1.24  ペン遊ペン楽

 

 昭和63(1988)年9月13日。私はRBC(琉球放送)ホールから琉球新報ホールへと急行した。新報ホールで催される沖縄県婦人連合会主催の「第21回婦人の主張中央大会」に前泊モリさんが出場するからである。ところで当日RBCホールでは沖縄県高等学校弁論連盟等が主催する「第39回沖縄県高等学校弁論大会ならびに第35回文部大臣旗争奪全国高校弁論沖縄予選大会」も進行中だった。


 連盟理事で大会の運営委員でもあった私は勤務校の宮古農林高等学校で指導した1年生の奥平香織の引率も兼ねて参加していた。途中、モリさんの発表が気になった私は大会役員の許しを得て琉球新報ホールへと駆けつけたのである。モリさんは宮古婦人連合会主催の「婦人の主張大会」で〝最優秀賞〟を受賞し宮古代表としての出場だった。当時私は宮婦連の大会の審査委員長でモリさんの選出にも直接かかわった。宮古地区大会の数日後宮古農林高校を訪れたモリさんは私のもとにやって来た。そして開口一番「宮古代表として恥ずかしくない発表をしたいのでご指導よろしくお願いいたします」と言い深々と頭を下げた。一瞬ええ~ッ?と思った。実はモリさんは11年前の1977年にも宮古代表として中央大会に出場している。しかし入賞果たせず悔しさを引きずっていた。今度こそはと意気込んでいた。発表者の意気込みに応え支援することは審査にあたった者のいわば責務であると思い直した私は放課後の短時間でよければと承知した。練習はおよそ1週間連日続いた。体育館の舞台で中央大会に即して行った。母音発声の口形・声の抑揚・歯切れよい発音・強調カ所のアクセント、そして間の取り方など細部にわたって注文をつけた。校務で対応できないときは高校弁論日本一に輝いた3年生の根間みどりに「時間配分や特に声の抑揚・間の取り方について助言するよう」依頼した。50歳余の大が二つつくほどの先輩モリさんは高校生の指摘にも顔を曇らせることなくハイハイと応じていたとみどりは感極まって報告した。

 以上のいきさつゆえに私はモリさんの発表が気になったのである。ホールは1階も2階も超満員で何とか舞台が見下ろせる2階の立ち見席に割りこんだ。そしていよいよモリさんの発表である。会場を見回したモリさんは流暢な発音で「Hello、How are you today?」と切りだした。しかしすぐにとぎれ「あがいあがいッ!」の伊良部弁がマイクを通じて会場に響き渡った。原稿は原稿用紙にしたためてつづるよう助言したがモリさんは大学ノートから切り抜いた何枚かに書いてしかもとじていなかった。そのため順序が乱れ論旨が合わずうろたえたのである。大失態だった。会場は爆笑。あああ~ッ万事休す!と私は逃げるようにしてRBCホールに戻った。香織は38名中6位の好成績で「優秀賞」に入賞し県代表として「第33回文部大臣杯全国青年弁論大会」への出場を決定づけた。そしてモリさんは何と県知事賞に次ぐ2位の「沖縄県教育長賞」に入賞したのである。出だしの失態を補って余りある後半の発表が高く評価されたという。確かにモリさんの原稿は、留学で渡米した末娘に刺激されて英会話教室に通い四苦八苦しながらも学ぶことの喜びに目覚めた。国際電話で娘のホストファミリーと英語で会話するのが楽しい。国際交流にとって最大の障害は言葉以上に心の中にある不安や恐れでそれは自分を萎縮させ相手との意思疎通を途絶えさせてしまうと強調していた。同年すなわち1988年11月30日世界各国から集まって開催された婦人国際フェスティバルでモリさんは沖縄いや日本を代表して堂々と意見発表している。末娘こと清美さんは現在琉球大学法文学部人間科学科(社会学専攻)マスコミ学コースの講師として励んでいる。
(宮古ペンクラブ会員)

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