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ペン遊・ペン楽
2013年2月13日(水)22:15

書くこと/加島 良枝

2013.2.14 ペン遊ペン楽


 いつになく、原稿用紙を前に、ペンが動かない自分がいる。締め切りを前に、気ばかりあせってなかなか進まない。天井を見上げて、ふぅと息をついた。


 思えば幼い頃は、お話を作ることが好きだった。何にもとらわれず空想の中で、鳥のように空を飛んだり、魔法を使ったり…主人公に次々と起こる不思議な出来事を一気に書いた。文字になると、もっとうれしくなった。

 父は、私が本を好むことをことのほか喜びよく私を書店に連れて行ってくれた。父は私によくこう言った。

 「ヨシエちゃん、日記を書きなさいね。日記を書くことで、文章力と平常心が身につくんだよ」

 幼かった私は、(ヘイジョウシン)がどういうものかわからなかったが、優しい父が大好きでうんとうなづいたものだ。

 思春期になると、詩を好んで書いた。好きだった詩人は高村光太郎。当時の教科書に載っていた「レモン哀歌」にふれたのをきっかけに「智恵子抄」の中の「あどけない話」や「樹下の二人」など、数行の詩の中に広がる福島の壮大な景色は、その地方の空気感や匂いをも感じさせ、心が壊れてしまった妻に寄り添う光大郎の無償の愛の表現は、私の心をつかんではなさなかった。高村光太郎に近づきたくて、安達太良山の見えるあの場所に、私もいつか絶対に行くんだと思ったものだ。

 感性豊かな若い頃に出合った本から得た、ときめき感は、色褪せることがない。時として映画やテレビでの演技や言葉による表現とは比較にならないほどの強いメッセージ力を持つ。文章による表現の美しさに魅せられ、文学という芸術に酔いしれた頃もあった。

 父に言われた「日記」は、確かに私の生きる上での支えとなった。ペンを持ち、真っ白な紙に向かうことで自分の心の扉を開く。書くことはもう一人の自分との対話であり、真摯に自分と向き合うことができる術である。そうして心の鎧を一つひとつ、はずしてゆく。

 父は、これから先の私の人生において、回り道やでこぼこ道を歩くとき、葛藤しながらも、見つけてほしいもの、気づくこと、赦すことを知り、書くことを通して、心豊かに生きてほしいと伝えたかったのかもしれない。

 早くして逝った父に、もっとたくさんのことを教えてほしかった。しかし、教えられなかったことが、「教え」なのだとそう思えるようになった。

 あれから、34回目の冬がやってきた。書くことに励んでいる私を、父は優しく見守っている。
(宮古ペンクラブ会員)

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