棚原 芳和さん(58歳)/琉球民謡伝統協会神奈川支部長
古里で夢の公演叶う
高揚した表情で「会場いっぱいに大輪の民謡・島唄の花を咲かせ、発表会が少しでも古里の未来につながる手助けになれば」とあいさつした棚原さん。「未来へつなぐ いにしえの唄心」をサブタイトルに11月、第4回芸能発表会in宮古島がマティダ市民劇場で開催された。賛助出演者など総勢100人余が舞台狭しと歌、踊りを披露し、観衆を楽しませた。
上野高田の出身、秀勝さん・ヒデさんの長男。若いころから歌が好きで、高校時代にギターを手に入れフォークソングのライブを開くなど、音楽に没頭していた。当時、民謡とは無縁だったが、三線はずっと気になっていた。高校卒業後、神奈川県に住むようになってしばらく経ってから三線を手に入れた。それから宮古民謡にのめり込んでいった。そのうち棚原民謡研究会を発足させ「宮古あららがまフェスタ」に出演するなど口コミで生徒も増えていく。
「宮古の方言や工工四も読めなかった人たちが、次第に歌い三線が弾けるようになる。本当に教え甲斐があります」と話し、3年後には琉球民謡伝統協会神奈川支部に認定された。今回の賛助出演も、新崎松秀会長ら30人が参加して花を添えてくれた。舞台では新崎会長が製作したジャンボ三線(長さ4・5㍍、重さ80㌔)も登場して会場を沸かせた。「今回のねらいの一つだった。この珍しい三線を古里の人たちに見てもらいたかった」と棚原さん。
民謡を始めたのは、方言が存亡の危機に瀕しているということを聞いたから。「古里を離れていると方言の味わいが何とも懐かしい。民謡は方言がそのまま残っている。ただ歌うだけでなく、みゃーくふつを残すという大事な使命があるように思う。これからも歌い継いで後進につなげていきたい」と期待を込める。
教室は現在20人、電気工事社を営みながら毎週日曜日に開設、和気あいあいと楽しみながら進めている。半数は宮古出身者。長女の里香さんも教師免許を取得、一緒に演奏活動に参加する。初めての古里公演では2人で仲睦ましく「二見情話」を熱唱して会場を魅了した。「子どもに自分の仕事が認められたようで嬉しい」と表情を緩める一瞬だった。
棚原 芳和(たなはら・よしかず)1955年12月5日生まれ。宮古工業高校卒。2003年、神奈川県で「棚原民謡研究会」発足。06年、琉球民謡協会神奈川支部に認定。07年、第1回発表会。08年、関東ふるさとまつり出演(その後、毎年)。11年、東日本大震災復興支援演奏会。13年、大船渡市復興支援チャリティコンサート出演。妻美枝さんとの間に2女。