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まちからむらから
2014年11月2日(日)8:55

開通迫る夢の大橋/佐良浜地区

悲願の離島苦解消へ


伊良部大橋

伊良部大橋

 離島の離島と称される伊良部島。周囲を海で隔てられた島人の暮らしの辛苦は離島苦の一言では片付けられない。それゆえ、解消、克服への思いは悲願とされた。そして克服の手立てとして宮古本島と架橋で結ぶという夢が生まれた。その夢が現実のものとなりつつある。伊良部大橋の完成、供用開始を年明けに控えた島の人々の表情を、佐良浜地区と伊良部地区と、2週にわたり伝える。

夢実現に「感無量」

 伊良部大橋の実現という夢物語が生まれて久しい。未曽有のプロジェクトだけに、実現には情熱と行動が必要だった。その実現に向けて国の中央省庁への熱心な要請行動など、長きにわたり具体的に努力を重ねてきた島人の1人が、伊良部商工会会長の大浦貞治さんだ。歩みを振り返り大浦さんは「島の先達から苦労の数々を伝えられていたし、若いわれわれの世代で何とかならないものかという思いがありました。幸い宮古本島にも有志がおりまして、宮古は一つという思いで国への要請や、地元の機運を高めるための企画を粘り強く重ねてきました。しかし、中央官庁に出向いても係長や課長クラスしか会えず、名刺を示してもいちべつして会釈されてそれで終わりです。心が折れそうになりましたね。そういう状況のなかで元衆議院議員の山中貞則先生らが骨を折ってくださいました。彼らの存在が無ければ事業の予算化は不可能だったでしょう。感謝しております」と語る。

 そして「ある日、若い仲間の嫁さんが急に産気づき、何とか船で平良に向かいましたが、間に合わず、船中で出産しました。幸い母子ともに元気で事なきを得たのですが、若い夫婦には修羅場ですよ。そういう例が他にもありまして、そのような経験が架橋実現の原動力になっていたような気がします」と言う。

 それだけに大橋完成が迫った現在について「感無量というか、実感がわかないというか。でも周囲は皆喜んでいますし、車いすの方でも渡り初めをしたいというほどです。開通の日がどういう一日になるのか、今から楽しみです」と語る表情は涙を抑えているように見えた。

運航終了は「時代の流れ」/長年親しんだ光景も見納め


佐良浜港船着き場の風景

佐良浜港船着き場の風景

 大橋供用開始に伴い長年に及ぶ運航を終えるのが船会社だ。平良と伊良部間の物流を担ってきた。架橋に寄せる期待の大きさは、返せば船会社の担ってきた事の大きさを示す。その一端を担ってきた宮古フェリー株式会社の新垣盛雄社長は「歴代の船会社から私の代になってからでも30年になります。最も多い当時は1日12往復、1600~1800人の利用がありましたが、現在は800人ほどと半減しています。当時の伊良部島の人口は約1万人。それが現在は5000人と、利用も比例しています。架橋の供用開始に併せて運行を終える予定です。この間、船も3度替わりました。伊良部島民のために頑張ってきたと自負しておりますが、これも時代の流れですね」と感慨深げに語っていた。

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