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2019年10月31日(木)8:54

【美ぎスマ】陸上競技伝統の里/城辺地区仲原集落

野原、亀浜、池田さん県大会優勝/地域の熱意が後押し


  

  

 仲原集落は、名ランナーを多く輩出している陸上競技の伝統の里。野原行夫さん(81)、亀浜光夫さん(73)、池田盛仁さん(59)は県民体育大会の中、長距離種目で優勝し宮古、沖縄の陸上界に名を残した。宮古の陸上競技大会では県大会を制した同3人のほかに、仲原の選手では野原輝一さん(87、出場種目5000㍍)、故友利孝之さん(800㍍、1971年)、池田盛隆さん(40代800㍍、1996年)らも優勝した。今年の全宮古陸上では仲里克樹さん(19、岡山理科大学)が100㍍と200㍍の2冠に輝き伝統を引き継いだ。友利悦雄さん(72)は、1975年から25年間選手会長を務め、集落の陸上熱を盛り上げてきた。友利さんは今年の陸上競技大会の40代800㍍に出場するなど、現役を続けている。学区陸上競技大会で仲原集落は復帰の年の第1回から今年の48回までの間に、一般男子は18回優勝している。

 野原行夫さん 1957年の県民体育大会で一般男子800㍍と1500㍍を走り優勝した。

 野原さんは中学校を卒業した年の学区陸上大会の1500㍍と5000㍍で1位になった。第12回全宮古陸上競技大会(1957年)で200㍍、400㍍、800㍍、1500㍍を制し、4冠を達成した。陸上熱が高かった昭和30年代のころ、仲原に誕生したヒーローだった。

 「私にとって走ることそのものが青春だった。家庭が貧しく進学をあきらめた私にとって、自分の可能性に挑むことのできる神からの贈り物だったように思った」(全宮古陸上競技大会50年記念誌)と回顧した。20歳のころには実力を買われ国場組に入社。32歳のころ沖縄信用金庫に入り定年まで勤めた。現在は沖縄市に住む。

 亀浜光夫さん 中学生のころ城辺中学校の駅伝チームのメンバーとして、たすきをつなぎ3年の時まで3連覇した。当時、指導を仰いだのが根間仙雅先生。常に頂点を目指す陸上の魅力に目覚めさせたのは恩師との出会いだった。

 一般になったころには全宮古陸上の800㍍と1500㍍で優勝。31回(1978年)県民体育大会の30代1500㍍では、21年ぶりに県記録を塗り替えた。前年の30回大会(初優勝)の時は、仲原の先輩の野原輝一さんや弟の行夫さんらが名護まで駆けつけて応援した。「来年は新記録を作る」と野原さんらに約束。翌年その約束を果たした。「先輩たちの応援が自分の走りを後押しする大きな力になった」と話す。

 つま先でグラウンドを蹴る「つま先走法」が特徴で、躍動感あふれる走りが観客を魅了した。当時の道は石灰岩が突き出る凸凹の悪路で、石を避けるようにぴょんぴょん跳ねて練習したのが「つま先走法」を生んだという。

 現在は仲原の畑に毎日のように行き農業を営む。たまには走りの好きな仲間たちと、ウオーキングを楽しんでいる。

 池田盛仁さん 中学生のころは野球のピッチャーをやっていた。当時は部活動がなく、陸上の顧問の先生に「2000㍍を走ってくれ」と言われた。県中学陸上競技大会に宮古代表で出場したところ、いきなり2位になり、これが陸上競技を本格的に始めるきっかけとなった。

 その後練習を積み重ね、どんどん速くなり高校2、3年のころは負け知らずだった。高校まで16㌔の道のりを自転車で通うなど「変人」と見られたほどだったという。家に帰るとムイガーのアップダウンを走った。

 大学は実力が認められ名門の日本体育大学に入った。全日本大学駅伝(開催地愛知、三重県)で7区を走り、五輪日本代表の谷口浩美選手にたすきをつないだことが思い出に残るという。

 沖縄県体育大会の一般の部10000㍍では、4連覇の偉業を達成した。

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