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社会・全般
2017年11月23日(木)9:04

「太平号」と40年ぶり対面/当銘由親さん(元具志川市長)

宮古馬の保存、増頭に尽力


40年ぶりに宮古馬と対面した当銘さん(左端)と関係者=22日、市総合博物館

40年ぶりに宮古馬と対面した当銘さん(左端)と関係者=22日、市総合博物館

 40年前、当時の具志川市(現うるま市)で在来馬の宮古馬「太平号」を飼育していた名護宏明さんの厚意で平良市(現宮古島市)に無償譲渡された「太平号」の仲立ちに尽力した、元具志川市長の当銘由親(とうめゆうしん)さん(86)ら7人が22日、市博物館で剥製展示されている栗毛の「太平号」に初めて対面した。当銘さんは、凜とした姿と再会し「立派に展示され、感無量」と満足の様子で語った。

 当時の平良市企画調整官の要職にあり、「太平号」の里帰りの仲介役に尽くした長濱幸男さんが、当銘さんらを案内した。長濱さんは宮古島郷土史研究会会員で、宮古馬研究の分野で著名。

 長濱さんは「1976年時点では、宮古島には宮古馬は14頭しかいなかった。2年後の78年には7頭まで激減した。減少の要因は、飼い主の高齢化と車社会が進んだことが考えられる」と振り返る。

 78年に雄の太平号が里帰りする二十数年前、宮古島の飼い主から糸満市喜屋武に身売りされ農耕馬として活用されていた。売却された当時は馬名はなかった。その後具志川市に住む具志川焼元・名護宏明さんが買い取り飼育していた。名護さんは、琉球王朝時代の名政治家、名護親方程順則の末裔(まつえい)。

 長濱さんは「平良市では、名護さんから宮古馬を購入するために予算化し交渉に当たった。名護さんは無償でプレゼントすることを決め、宮古馬を太平号と名付けた。昔は中国から宮古島は太平山(たいへいざん)と呼ばれていた。宮古島にふさわしい名前と思った」と感慨深そうに話す。

 里帰り後、太平号と雌「ゆかりゃ号」との縁談がまとまった。80年には二世「平太」が誕生した。この年に宮古馬保存会が結成され増頭計画に向け、大きな希望を与えた。

 「太平号」の老衰は著しく、83年に47歳で天寿を全うした。

 当銘さんと一緒に対面した元具志川市教育委員会教育長の宮里朝景さん(87)は「少年時代に宮古馬に乗った思い出がある。宮古馬は体は小さいが力持ちで、足のひづめが厚かった」と懐かしんだ。

 当銘さんらは、荷川取牧場(平良山中)代表の荷川取明弘さんに金一封を贈呈した。現在宮古馬の全体頭数は47頭で、そのうちの24頭は荷川取さんが飼育している。

 当銘さんは「これからも宮古馬の保存のために有効活用してください」と激励した。

 荷川取さんは「貴重な浄財に感謝でいっぱい」と礼を述べた。

 この後、館内の研修室に移動。長濱さんが宮古馬について講話した。この中で、過去に発掘調査された地質層などの考察から「宮古島に宮古馬が入ってきたのは14世紀ごろと思われる」と述べた。


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