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社会・全般
琉球古典舞踊「穂花会」/宮古舞踊「んまてぃだの会」
「宮古舞踊」確立目指し/立ち上げ公演
35年間島袋本流紫の会宗家に所属してきた亀浜律子さん(48)は、昨年4月、退会届けを提出し、地元宮古を拠点に活動したいとして新たなスタートを切った。琉球古典舞踊を探求しつつも宮古舞踊の確立を目指すとして、このほど琉球舞踊「穂花会」・宮古舞踊「んまてぃだの会」を創設。24日、「初穂花」と題する立ち上げ公演をマティダ市民劇場で開催した。亀浜家元を中心に3人の師範、10人の教師、生徒らで琉球古典舞踊、宮古舞踊、創作など多彩な舞踊・演舞で会場を魅了した。
古典舞踊と宮古舞踊の競演
サトウキビ収穫の最盛期、「キビの穂花が島を覆い尽くすように芸能の華を咲かせたい」として、立ち上げ公演を行った。14歳で島袋家元の恵美子先生に出会い、その後、古典舞踊のとりこになって、組踊り、光史流太鼓、琉球舞踊など芸能一筋で今日までやってきた亀浜さん。それは、古典舞踊の素地のない宮古にとっての改革でもあった。
今回の立ち上げは、沖縄本島や八重山に大きく立ち遅れている宮古舞踊に情熱を傾けたいとして一歩を踏み出した、と亀浜家元。幕開けでは師弟ら32人が「初穂花」を舞い、家元が稲穂を手に「大世栄」(うぷゆーぱい)をおごそかに舞った。舞い終えて深々と舞台であいさつ、立ち上げの決意を述べた。
第1回発表会(22年前)のオープニングが初演の「紫雲」は、宮古島の歴史を幻想的なイメージで表現、めでたいことの例えとしてベテラン10人によって舞われた。「上り口説」や「かせかけ」などの重厚な古典舞踊、子どもたちの「子守亀」、宮古民謡を創作した「んみゃーち宮古」、打ち組み踊りの「醜童」や、歌劇の「馬山川」など、多彩な演舞で会場を沸かせた。フィナーレの「豊年世」は、農民の生活を盛り込んだ三部構成でクイチャーのリズムに乗せて会場狭しと踊りの輪が広がった。
母親の情熱実る/12人の孫が舞踊を
家元律子さんの母親・亀浜文さん(75)は、裏方で舞台ぎりぎりまで、衣装の手直しをしていた。「一人の思いって、こんなに多くの人たちに伝わるもんなんですね。私の自慢は孫たち全員が踊りの道に進んだということです」と目を細める。40代で4人の子を引っ張って島袋恵美子さんの舞踊教室に通ったのは文さんだった。
婦人会活動で必要となった舞踊を習いたいと姑に話したら、やるなら古典をしなさいといわれる。また、実の母親が芝居好きで、その病床の母に見せたくて舞踊を始めた。当時、恵美子先生が宮古に月4日通って古典を教えていた。生徒が少なく、先生に辞められたら困ると思い、子ども4人を連れて通った、と当時を振りかえる。
「中でも律子は、先代が、この子は踊りをするために生まれていると言われ、本人もその気になって頑張ってくれたので今があると思う」と話す。宮古舞踊・んまてぃだの会としたのはこうした母親への感謝の念と、女性があらゆるものを生み出すという意味を含めたようだ。