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私見公論
2018年9月15日(土)8:54

【私見公論】多良間 勉/なぜ? 宮古島にトライアスロンが開催されたか㊥

~開催決定までの経緯~

田中氏、宮古島でのトライアスロン開催を提案
 昭和59年8月、東急の田中氏は「ある物」を携えて琉球新報社を訪れた。その「ある物」とは「ハワイのアイアンマン大会のビデオテープ」である。田中氏は伊豆見社長と面談後、事業局長の真喜屋氏に会う。以下、真喜屋氏の回想録より抜粋。田中氏は「このスポーツは『一人の選手が3㌔水泳をした後、自転車(バイク)100㌔以上走行し、次に42・195㌔のマラソンをする』体力の限界に挑戦する競技です。ハワイのコナでアイアンマンレースとして行われていて究極のスポーツとして注目されています。今はそんなに知られていないが、近い将来必ず日本をはじめ世界中でブームになるでしょう。オリンピックの競技種目にもなるでしょう。世の中が平和で豊かになってくると、こういうスポーツがこれから発展します」と熱心に話された。

 会話の中で、真喜屋氏は、「やるとすれば、どういう条件が必要か」と尋ねる。田中氏は、「まずきれいな海が必要。次にバイクとマラソンをやるために一日中、交通規制ができるところ」と答えた。真喜屋氏が「沖縄の海はどこもきれいだから、これは問題ないとして、問題はバイクとマラソンは沖縄本島では無理。生活道路だから、一日中、交通規制はできない。まず、警察が許可しない。離島ならともかく」と言うと、田中氏は待っていましたとばかりに「そうです。これは離島にしかできない。それも地形にあまり起伏がなく狭くないところがいい」と。真喜屋氏が「離島で海がきれいで地形が平坦といえば宮古しかない」と言うと、田中氏はその言葉を待っていたように「そうです。宮古が最適です」と、宮古島での開催を提案した。

1本のビデオテープが宮古に持ち込まれた
 真喜屋氏は「あす、宮古に行くので、今、お聞きしたトライアスロンの話を平良市の伊波市長に話してみよう」と請け合うことになる。そして、翌日、宮古テレビとの契約のため、ビデオテープ持参で宮古へ出張。宮古テレビで契約調印のあと宮古テレビの砂川典昭社長、琉球新報の照屋宮古支局長を交えて会食した際、トライアスロンを話題にした。初めて聞く話に皆、大乗り気で「ぜひ、宮古でやってみよう。これといった観光資源のない宮古をスポーツで売り出していこう」という話にまで発展した。そこで、照屋支局長から「明日ちょうど宮古広域圏協議会の会議で各市町村長が集まるので、トライアスロンの話をしてビデオを見てもらおう」ということが提案された。

市町村長、ビデオ観戦
 広域圏協議会の会議後、市町村長らはビデオを見るが、口々に「これは、すごい競技だ。こんな競技をしたら死人がでる。犠牲者がでたら誰が責任を負うか」と恐れをなして尻込みした。だが、城辺町の森田武雄町長は「たしかに、厳しい競技だが魅力がある。過酷さに負けないで自分と闘って頑張る姿は、宮古のアララガマ精神に似ている。このスポーツは宮古に合っているような気がする」との前向きの発言で、宮古全体の組織である宮古広域圏で取り組むことになった。しかし、これには「琉球新報社が主催者として一緒にやるなら」という条件を付けた。真喜屋氏は、このことを後日照屋支局長から報告を受け良かったと思う半面、以前、社長から田中の話は危ないから断れと忠告されていたので心配もしていた。しかし、意を決して9月のある日、社長室を訪ね「琉球新報が主催して宮古トライアスロンをやりたい」と切り出した。社長からは「断れといったはずだ。なぜ、指示に従わん。これは危ない競技だよ。犠牲者がでたらどうする」と叱責された。そこで、「昨年11月に社長から、宮古で全県的なスポーツイベントをやれという宿題を与えられました。それがようやく見つかりました。トライアスロンはまさに、宮古にうってつけのスポーツイベントです」と言うと、社長はじっと、真喜屋氏の顔を見ていたが、「よろしい、やりなさい。事業局だけでは対応できないから嶋袋企画局長と一緒にやりなさい。この事業は社をあげて取り組む」と、伊豆見社長の了解が得られた。ここで宮古広域圏協議会からの条件もクリアされ、開催に向かって動きだすことになった。

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