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美ぎスマ
2019年2月23日(土)8:54

「相互扶助」バネに発展/福山集落

 福山集落は沖縄本島出身の名城政達さんが創始した。1933(昭和8)年、棚福(タナフグ=現在の福山)に耕地整理事業を導入し道路や住宅、簡易水道を順次整備。1938(昭和13)年には周辺に散在していた山川、ピンフ、トシ川集落の住民をタナフグに移住させ、1948(昭和23)年、福山部落会を組織した。住民はユイマールで畑を開き、本土復帰後は大規模な畑地整備事業を進め、地下ダムの水も導入。1996(平成8)年には福山住民の心意気を象徴する門(相互扶助と刻んだ門)を福山農村研修集会所に設置した。福山の一戸平均の耕地面積は広く、2016~17年期産サトウキビの一戸平均生産量は108㌧と沖縄製糖の原料区中、下地の洲鎌と並んでトップだった。3日は住民こぞって環境美化(道路や沈砂池清掃など)に汗を流した。1月末現在の世帯数は73戸、人口は118人(男性68人、女性50人)。

力を合わせ環境美化/キビの一戸平均生産量トップ(2016~17年期産)


清掃後、「相互扶助」と刻んだ門の前に集まり撮影に協力してくれた皆さん

清掃後、「相互扶助」と刻んだ門の前に集まり撮影に協力してくれた皆さん

 名城政達さんは、福山に広い土地を所有していたという。旧公民館の敷地の一角に名城さんの功績をたたえる碑があり「昭和八年耕地整理事業を成す」「同十三年ピンフ、山川、年川ここに移住」「同二十三年、福山部落会を組織す」と刻んであった。現在の公共的事業の費用は、行政が多くを負担しているが、名城さんの事業に同様な支援があったかは定かでない。碑は1954年8月に建立した。砂川栄さん(旧平良市総務部長)は「名城さんは耕地整理も計画していたはずだが、戦時色が強まり中止したのでは」と推測した。

 簡易水道の整備(1933~38年の間)は、宮古では先駆けだった。「宮古で初めて簡易水道ができたのは、城辺町の保良集落である(1954年)」とする記録より16年以上古い。ファームポンドのある嶺の麓の「パナタガー」を水源に、集落内に設置したタンクに水を引き、飲料水や雑用水に利用していた。

 新集落福山は山川から約10戸、ピンフから7戸、トシ川から5戸、計22戸が移住し、タナフグと合わせて計32戸でスタートした。福山の学区は西辺だが、移住前の山川の子供たちは北小学校に通っていたという。

 3日の清掃に参加した久高勝伯さん(88)の話では、未開地の開拓は、Aさんの次はBさんの畑と輪番(ユイマール)で行った。久高さんは「(ユイマール精神の旺盛な)福山の団結力はどこにも負けない」と語った。

 復帰後の土地改良は1977(昭和52)年から始まった。現在までに畑のほぼすべて(約135㌶)で終わった。畑には地下ダムの水も入り、毎年のようにあった干ばつ被害は解消された。2016~17年期のキビの収穫面積は87・8㌶。地下ダムの水を吸収して成長したキビの平均反収は7・9㌧と高い収量だった。

 清掃には40人が参加した。晴れ間が広がる清掃日和。参加者らは鎌を手に道端の草や防風林の下草、枝を刈り取り、沈砂池のごみも取り除いた。道路では掃き掃除も行いぴかぴかにした。

 川満恵子さんは「みんなで清掃したら自分の家の庭のようにきれいになった」と笑顔。福山のマンゴー園で働くベトナム出身のフアン・ヒュー・タムさん(25)は、とても明るく人気者。福山代表で西辺学区陸上競技大会にも出場したという砂川真美さんは2回目の参加。「みんなと一緒に過ごすのは楽しい。敬老会ではピンク・レディーを踊っている」と話した。

 福山自治会(砂川寛裕会長)主催の同清掃は農地水保全対策事業を活用して行った。砂川会長は「行政が予算を出してくれるので助かる」と話した。

(参考文献・在沖西辺郷友会結成30周年記念誌)

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