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社会・全般
2018年5月15日(火)8:55

記念パーティーでBGM演奏/マイティー・下地さん

日米要人勢ぞろい 「歴史の中にいた」


日本復帰記念パーティーの席でBGMを演奏したことがあるマイティー・下地さん。愛用のサックスを手に当時を振り返った=14日、本社

日本復帰記念パーティーの席でBGMを演奏したことがあるマイティー・下地さん。愛用のサックスを手に当時を振り返った=14日、本社

 46年前、日本復帰記念パーティーの席でBGMを演奏したことがある。当時の日米の政府要人が勢ぞろいしている中での演奏は、歴史の中にいるという感覚だったという。「40年以上も前だが、最近の出来事のように思える」

 パーティーは那覇市内のホテル10階で行われたが、階数ごとにエレベーターの中でボディーチェックを受けたという。「祝賀気分の中でも物々しい雰囲気だった。楽器が入ったケースを持っていたから仕方無いけど。おかげでパーティー会場まで30分以上掛かったよ」と振り返った。

 招待客は約300人。せり上がった舞台から見た光景は「華やかで喜びに満ちあふれていた。みんなが万歳万歳と叫び続けているような雰囲気だった」という。

 「会場が熱気で暑くなったせいか、一人の政府要人が背広の上着を脱ぐと、出席者全員がそれに習って脱ぐなど、そこにいる全員が気持ちを同じにしているようだった」

 BGMは「ソフトなムードで上品で穏やかなサウンド」との要望があり、「さくらさくら」や「紅葉(もみじ)」をジャズ風にアレンジ。伝統的な日本の歌曲で、日本復帰をアピールした。

 米軍基地内のクラブで演奏していた当時の月給はドルでもらっていたが、日本円にして数百万円の時も。「アメ車を乗り回して、用もないのに国際通りを往復していたよ」と笑った。

 復帰前には基地内の仕事が段々と少なくなり、復帰前年には活動の場を県内のホテルへ移した。「初めて円でもらった月給は25万円。ドルとの落差にびっくりしたが、それでも当時としては高給だったはず」と話す。

 基地で働いていたころは、沖縄の本土復帰には関心が無かった。「しかし、お金の価値がこれだけ変わるのかと思った時、本土復帰とはこういうものかなと実感した」と語った。

 「私はただのバンドマンだったが、人との出会いや運に恵まれた。人生の中で一番華やかだったころに本土復帰を経験したことで、今の自分があると思っている」

 マイティー・下地さん(本名・下地恵壹)は、現役のサックス奏者。城辺比嘉在。75歳。


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