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2010年9月23日(木) 16:28

原典は深く面白い/近角 敏通

ペン遊ペン楽2010.9.23
原典は深く面白い
近角 敏通(ちかずみ・としみち)


 文学にしても、宗教にしても、そのもともとの書物である原典(『』で記す)には、一般に知られている(「」で記す)以上の深さと面白さがある。
 浦島太郎は龍宮城から帰って、玉手箱を開けた瞬間、「おじいさんになる」が、原典の『御伽草子』では「太郎と乙姫は深い縁を互いに感じており、その瞬間、太郎は鶴となって天に昇り、姫は亀となって、二人は永遠に結ばれる」。


 かぐや姫は月の世界に帰っていくが、原典の『竹取物語』では、「姫と帝は深い恋に落ちており、姫は月の衣を着ることでその心を失うことを嘆き、帝は姫にもらった不死の薬を姫なき世には意味がないと山で焼いてしまう」。


 『伊豆の踊り子』の胸に深い孤独感を抱いた青年は、旅で出会った踊り子に「いい人」と言われたことで、心が晴れていき、別れてから船の中でうれしさのあまり号泣してしまう。それらを表す川端康成の言葉は美しい。「ほんとうにいい人ね。いい人はいいね。…晴々と眼を上げて明るい山々を眺めた。瞼の裏が微かに痛んだ」「いいえ、今人に別れて来たんです。私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただ、清々しい満足の中に静かに眠っているようだった」(鈴木秀子著『名作と人生』広樹社)。


 仏教は一つ一つの命と個性の尊さを説く。「漢訳阿弥陀経」には、極楽の池の蓮の花がそれぞれの色に輝き咲く光景が、「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」と描かれている。さらに、インドのその『サンスクリット語の原典』には、「それに加え、まだら模様の雑色の蓮の尊さ、さらに、光だけではない、それぞれの色の蓮の陰をも尊きもの」として描かれている(大須賀発蔵著『いのち分けあいしもの』柏樹社)。


 9・11テロ事件以来、キリスト教圏とイスラム教圏の対立がさらに顕在化し、宗教戦争のごとき、混迷の局地戦が続いているが、イスラム教・キリスト教の原典の教えは実に平和思想であり、互いに原点に戻れば、和平への光明を見出せる。「いかなる時も怒らないようにしなさい(イスラム教預言者モハメット)」「隣人を自分のように愛しなさい。あなたの敵を愛し、もう一方の頬をも向けなさい(キリスト・新約聖書)」「イスラムの意味は平和に。ジハード(聖戦)とは自らの怒り・欲望に打ち勝つこと。不公正へも非暴力の戦い。宗教の本質は、愛を全ての人に向けること(カーン)」(「君あり、故に我あり」クリーマ著 講談社学術文庫)。


 インドで生まれ、中国・朝鮮を経て、伝わった思想を受け止め、聖徳太子は、1400年前、日本の、いや、世界の原典ともいうべき『十七条の憲法』で、「和を以って尊しとなす」と表した。これは、先にあげた複数の原典にも通じ、私は、日々感じる宮古人、伊良部人(ぴと)のあり方にも通じると思う。島の部落も生誕700年を迎えた。行事でも、子どもの応援でも、仕事でも、日々接する人にも、「和を以って尊しとなす」を感じる。そんな島をだまして、ひと儲けしようとする人は相変わらずいる。農作物の買取でも、島の軍事基地化でも。そぐわない。正々堂々と、島、各世代、各国、力と知恵をあわせて、「和を以って尊しとなす」世界をつくっていこう!
 (宮古ペンクラブ会員・農業)