2011年8月13日(土) 23:10

住民総出、豊じょうを祈願/新里集落

伝統の「豊年祭」で一つに


芸能の奉納が行われたツカサヤー御嶽

芸能の奉納が行われたツカサヤー御嶽

 旧暦6月のつちの日に行われる「新里の豊年祭」(1995年、無形民俗文化財指定)は、無病息災や豊じょうを祈願する年に一度の住民総出の祭り。当日となった7月日は、早朝からツカサヤー御嶽とブンミャー(公民館)御嶽で、神役や部落役員らの祈願が行われた。午後からは奉納行事として、綱引き、獅子舞、棒振り、女踊り(引き踊りと巻き踊り)などが行われた。



青年たちによる棒振り

青年たちによる棒振り

 新里集落は、クイツヌ・クイタマの夫婦神(分神)を祭るツカサヤー御嶽を中心に、サウガツ(旧正月)、ムルン(虫払い祈願)、麦・粟プーズの豊年祈願などが行われている。祭祀組織としては、ユーザス、ツカサ(ウプンマ)、ツカサドゥム(2人)、ブントゥリャー(2人)、カントク(男)など7人の神役がおり、これに集落の役員、住人などが加わって祭祀行事が執り行われている。


 豊年祭当日、早朝7時から、ブンミャー(公民館)では、ユーザスがブントリャーと共に祈願の準備に追われていた。館内にある祭壇には、豊作豊漁を願って農作物やキビナゴなどが供えられた。また、同じように公民館東方の森の中にあるツカサヤー御嶽でも、ウプンマらが供え物を準備して御願の態勢に入っていた。


 新里自治会長を中心とした役員らも早朝から公民館に参じ、この日、住民らに配る大豆と昆布の煮物を作った。この習慣は、以前から行われていることで、大地の実り「大豆」と海の幸の「昆布」をユー(富み)の分配としてきた。前日から準備にかかり、当日は30キロの大豆と5キロの昆布が大釜で炊かれた。調理後は、小分けして約200袋を準備、祭り会場で役員たちが参加者全員にユーを分け与えていた。


新里集落の概要
 上野字新里集落は、近世時代には砂川間切に属し、当時は宮国村・新里村・野原村の三カ村で営まれていた。ところが、1771年の「明和の津波」で壊滅状態となり、場所を海岸端(元島)から現在の高台内陸部に移した。津波で生き残り現在地に移ってきたのはわずか7軒だったといわれ、伊良部島から人々を移住させ新里村の再建を図った。1908年には、特別町村制に伴い下地村に組み込まれ、48年には下地村から分村して上野村字新里となり、さらに2005年の市町村合併で宮古島市上野字新里になる。現在、新里自治会(新里九二吉会長)は、農耕を中心とした集落で、世帯数は135戸。

  • 宮古島の人口

    平成29年1月1日現在

    宮古島市 54,083 人
    26,984 人
    27,099人
    世帯数 25,869軒
    多良間村 1,182 人
    635 人
    547 人
    世帯数 527 軒
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