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2012年2月8日(水) 23:08

「16日祭」(行雲流水)

 十六日祭も終わり、墓前に集まった子孫たちは日常生活へ戻って行った。祭りは、先祖の来し方に思いをはせるひとときでもある



▼先島や本島北部の墓前祭は道教に由来する〝グソー(後生)の正月〟だが、首里・那覇は二十四節気に由来する清明祭(4月上旬)が主流だ


▼二十四節気は黄河流域で編まれた農暦で、清明節は植物が成長を始める時節だとされる。中国では、この時節を先祖に感謝し、子孫の加護を祈願する墓前祭が営まれていたという


▼沖縄では、首里の王家が取り入れたのが始まり。18世紀の中ごろだという。次第に士族の間に普及し、一般化していったが、地方では役人止まり。遠隔地の農民へ広まることはなかったようだ。中央と遠隔地、役人と農民、そこには意識・感覚のズレがあったものと思われる


▼時代は下って、初期の明治政府は廃藩置県に反対する琉球士族を懐柔するため旧慣温存政策をとった。「上杉県令巡回日誌」でみると、明治15年ごろの物言わぬ農民の生活は悲惨だ。裏腹に地方役人は左うちわだ。実地見聞に基づいて旧慣温存政策の誤りを指摘し、改廃を上申した上杉県令はクビになっている。沖縄の農民が苦役から解放された地租改正は明治36年だ


▼今でも、明治12年の「琉球処分」を被害者意識で語りがちだが、それは琉球王国の支配層の立ち位置であって、人口の大部分を占める農民が見落とされているのでは。歴史解釈のズレには、清明祭が伝わった頃と似通った〝上から目線〟があるように思えるのだが、どうだろうか。