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私見公論
2013年2月8日(金)23:07

宮古島マンゴーのブランド化を目指して/上地 克冶

私見公論55


 今、宮古島のマンゴー生産出荷は大きな岐路に立たされています。栽培面積が約7000㌃で農家個数200軒、年間の生産量が500㌧から4~5年で1000㌧の時代を迎えようとしています。


 輸送の問題や特に販売の問題、それから品質保持の問題等、課題は山積しています。それらの諸問題について私たち宮古島マンゴー出荷組合の取り組みをご紹介し、読者の皆様からいろいろなアドバイスがいただければ幸いです。

 その前に私とマンゴーの関わりから述べたいと思います。今から33年前、まだ沖縄本島で照明関係のメーカーに勤めていた頃、弊社の指定工事店の社長に、大変珍しいものを見せてあげるからと言われ、てっきり仕事の関係かと思いついて行くと、具志川市栄野比(現在のうるま市)で、なんと松林に囲まれたビニールハウスではありませんか。

 そしてご紹介いただいたのが沖縄で最初に本格的なマンゴーの商業栽培を始めた翁長さんの縁農園でした。農園で初めてマンゴーをいただき、あまりの美味しさに今まで食べた果物はなんだったのかというくらいの衝撃を受けました。そのときはマンゴーという果物は知っていても、いまだ実物は見たこともなければもちろん食べたこともありませんでした。ましてや品種など知る由もありません。

 早速何個か分けてもらい、マンゴーについていろいろ豆知識を教えていただきました。後日、当時宮古で農業を営んでいた兄に電話し、今日の経緯を話し早々と那覇に来てもらい農場に案内すると、兄も大層びっくりし、かつ美味しさに感動し、宮古でも栽培できないかと農家の立場でいろいろ教わり、後日苗を分けてもらう約束をして帰島しました。

 しかし最初の頃はハウスも作らず露地で栽培したため、うまくいかなかったようです。そのうち宮古島でもいろいろな方々がマンゴーの栽培を始められたようです。

 私がドイツ村のプロジェクトで宮古に戻ると、ちょうど兄も当時の上野村で博愛マンゴー研究会を立ち上げ、県の事業で大型ハウスを導入し本格的にマンゴー栽培を始めるところでした。

 その頃上野村でもトロピカルフルーツランドの計画が進んでいて、熱帯果樹の栽培機運が高まっていました。しかし当時はマンゴーを栽培しても売り先がありません。ドイツ村も仮オープンしたばかりでいかにして皆様、特に観光客にPRしていくかを模索している時期でした。

 そこで何とかドイツ村のPRとマンゴーのPRとが一緒にできないか役場と相談し、マンゴーの箱やリーフレットにドイツ村の建物をイラストで入れていただく代わりに、デザイン料を私どもで負担させていただいたり、観光関連でお付き合いのあるデパートをご紹介させていただいたりと、一緒に活動することができました。当時ご紹介させていただいたデパートは現在も博愛マンゴー研究会の一部のメンバーがしっかりお付き合いしているのは何よりです。

 それでは私たち宮古島マンゴー出荷組合を紹介したいと思います。メンバーは農業生産法人および個人農家で人です。栽培面積が約980㌃で生産量が約100㌧です。まず、組合を結成した経緯から申し上げます。これまでアーウイン種(愛称でアップルマンゴーと呼ばれている)マンゴーの収穫は平均的に6月中旬から下旬にかけて始まり集荷のピークが7月10日から15日来て、7月下旬に終わるのが例年のパターンです。ところが平成21年度に限っては、収穫の始まりは例年並みでしたが、ピークを迎えるのが予想以上に早く、7月の2~5日にはピークが来てしまいました。

 生産農家はもちろん事前に注文は取りますが、出荷計画はピークを中心に計画しますので、予期しない時期にしかも2週間近くも早く最盛期を迎えると大変です。とたんに嫁入り先の無いマンゴーがたくさん出てきます。まず販売先の確保が喫緊の課題です。

 上地 克冶(うえち・かつや)1952年生まれ。宮古島市上野出身。74年東海大学工学部電気工学科卒業後、照明器具メーカー(株)岩崎電気に入社。91年うえのドイツ文化村プロジェクトのため帰郷。98年沖縄県ウエルネス計画プロジェクトで2年間観光コンベンションビューローに出向。03年体験型観光と農業の融合を目指し、(有)シートーヤー設立。07年農業生産法人を設立。

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