2013年5月2日(木) 21:33

「おせじの功罪」

日本親業協会親業インストラクター 福里 盛雄


1 人は適当におせじを使う必要がある。


 おせじとは、国語辞典によるとあいそうのよいことば、口先でうまく言うことば、と説明されています。私たちは、他人と良い関係を保つためには、適当におせじを言うことも大切なことである。なぜならば、おせじは人とあいそうよく接し、その場の雰囲気を明るくする働きをもします。人が社会生活を円満に明るく営んでいくためにはある程度のおせじも必要だと思います。特に日本人は、おせじをよく使う生活習慣を身につけています。沈黙している相手に対しておせじの一つぐらいでも言ってもらいたいと言ったりします。余りばか正直では他人との関係を悪くし、人間関係を壊してしまう場合もある。例えば、赤ちゃんを抱いている婦人に出会ったとき、それほど可愛くない赤ちゃんではないと心の中では思っていても口先では、「あら! かわいい赤ちゃんですね」というのが一般の常識的言い方である。その場合、内心ちっとも可愛くないと思っている場合、自分の思った通りに言ったとしたら、その場の雰囲気はどうなるかは明白です。ところが、それに尾びれをつけて、女の赤ちゃんなら「玉のような、将来ミスユニバースになること間違いない。母親そっくりの赤ちゃんですね」とおせじを言ったりする。それも母親を喜ばすためのおせじだと受け容れられる程度の範囲ならよいでしょうが、その母親はそれほど自分を美人とは思っていないのに、大げさなおせじは、相手に不快感を与えます。



 私たちは、自分の内部で思っている通り、考えている通りに、ことばを表現しても、何も相手に不快感を与えないほど、心の内部が善意に満ちているとは限りません。むしろ人間の心は陰湿で悪意に満ちています。ですから、自分の内部の感情や思いと反するおせじを言うことも、人間の知恵かも知れません。


 おせじも使い方次第では私たちの生活を潤すカンフル剤の働きをするものです。ですから、私たちは適切なおせじを言うことも必要だと思います。


2 おせじの弊害


 人の生活のカンフル剤のおせじも、それを悪用すると、人を不幸にします。昔の中国に「巧言令色すくなし仁」という諺があります。これは、ことばの巧みな人は警戒しなさい。そんな人に真実な人は少ないから注意するようにとの教えだと考えます。


 このことばは、私たちの現代社会にも生きた教訓を与えています。この諺を生み出した時代から長い年月を経て、科学文明も当初と比較にならない程、進歩発達した現在の人の心は少しも進歩していないことが、毎日のように起きている。


 ことば巧みに老人の生活資金を巻き上げたり、詐欺まがいの商法で何億のお金を巻き上げたり、ことばたくみに幼い子を誘い出し殺したり、拾い挙げるにきりがない。


 ことば通りに人を信頼することの困難な今日の社会です。「人を見たら泥棒と思え」ということを心がけて生きて行かなければ、自分もことばの巧みさの被害者になりかねない、といつも注意しているにもかかわらず、つい訪問販売の被害者になったりする。


 人間の創造者である神から離れて、いろいろと心の清さを創り出す方法を試みている人間の努力は何の効果もないのが現実です。


 東洋一の賢者であると言われたソロモン王は「ことば上手で心の良くない人の姿を銀の上薬を塗った土の器のようだ」といっています。私たちはその人の真意を探ると同時に他人のおせじを心の余裕をもって楽しむ賢さが必要ではないでしょうか。