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ペン遊・ペン楽
2013年10月10日(木)9:00

「救急搬送」/高橋 尚子

2013.10.10 ペン遊ペン楽

 私の勤める老人保健施設には、治療が終わると同時に併設の大学病院から移ってくる高齢者が多い。骨折後のリハビリと介護のため、脳梗塞後の介護目的で、心疾患や糖尿病コントロールのため、終末期の療養生活にと、病名も入所の目的もさまざまだ。そのうえ重症の方も多く、病状が悪化すれば深夜であれ早朝であれ、昼夜を問わず病院に救急搬送しなくてはならない。日々の細かな観察が重要である。

 ある朝のこと。出勤すると同時に、夜勤者から矢継ぎ早に状態の悪い方がいることを告げられた。急いで医務室に行くと、ベッドに横たわりゼーゼーと苦しそうな呼吸をするおじいさんがいた。数カ月前、心不全の治療が終わり病院から施設へ移ってこられた方だ。ベッドに近寄り声をかけると、眉間に皺を寄せながらも笑顔を見せる。その姿に、病院から来たばかりの頃からこれまでの時間が瞬時に蘇った。

 施設にきたばかりの頃は会話も少なく、昼は寝て夜は起き、ベッドから転落する危険性も高く生活リズムの見直しが必要だった。車いすに座ることから始め、徐々に起きていられる時間を延ばしていった。リハビリが進むにつれて筋力もついてきた。毎日、尿量と体重を測り浮腫みに注意した。ようやく尿の管が取れると途端に明るくなり、冗談を言ったりして笑顔が増えた。車いすもゆっくりだけど自分で動かせるようになった。家族はおじいさんの変化に驚き、喜んだ。

 しかし、これまでに何度も心不全を起こしている高齢のおじいさん。心臓もまた同じく高齢なのだ。一時的に回復したがまた悪化してしまった。息をするたびゼーゼーと音がする。急がないと!

 大学病院へ受け入れの確認をとる。家族へも病院へ搬送することを連絡し、救急車を要請した。ほどなくして、サイレンの音を鳴らしながら救急車が到着した。救急隊員におじいさんの状態を報告し、すぐに出発の準備が整った。病院に向かう救急車には何度も同乗しているが、揺れの激しさと、サイレンの音と、おじいさんの苦しそうに喘ぐ声に気持ちが騒ぐ。早く、早く!と心の中で繰り返す。大通りに出ると、朝の通勤ラッシュの自家用車や荷物を運搬する大型のトラックがずらりと続いていた。一瞬、気持ちが焦った…が、サイレンの音に全ての車が片側に寄り、救急車が通れるように道を開けている。「早く行ってください!お大事に!」まるでそう言われているようにさえ思える。緊急車両に道を譲るのは当たり前と言えば当たり前のことだが、先を急ぐ人だっているはず。片側に並ぶ車の横を走りながら、有難たさと感動と感謝で、おじいさんの手を握る私の手にも力が入った。

 病院に到着し、救急室のベッドにおじいさんを移すと、医師と看護師がテキパキと処置を始めた。医療の世界へと生きて命をつなぐことができたのだ。おじいさんの命は大勢の人に守られ、助けられたのだと思うと、表しようのない感謝の思いで胸がいっぱいになった。これまでの緊張が静かに解けていった。

 病院の外に出ると、爽やかで透明感のある一陣の秋風が私を包んだ。空を仰いで深呼吸をし、大勢のお年寄りが待つ施設へと戻った。

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