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産業・経済
2014年12月5日(金)9:00

伊良部航路 1月31日最終運航/「宮古フェリー」「はやて」

大橋開通日に歴史閉じる/新たな事業展開を計画


宮古フェリーの「ゆうむつ」(手前)とはやての「スーパーライナーはやて」(資料写真)

宮古フェリーの「ゆうむつ」(手前)とはやての「スーパーライナーはやて」(資料写真)

 長年、伊良部島と宮古島をフェリーで結び、島民の足として島の生活を支えてきた宮古フェリー(新垣盛雄社長)とはやて(川平三秀社長)が来年1月31日の伊良部大橋開通式の日に航路事業を終了することとなった。両社とも航路事業終了後も会社は存続させ新たな事業展開を計画しているという。島民の足として、そして生活路線として島民の暮らしを支えてきた両社の事業終了に惜しむ声も聞かれている。

 1月31日の最終運航日は、宮古フェリーの「うぷゆう」が午後6時45分の平良港発。はやての「スーパーライナーはやて」が午後6時30分の平良港発となっている。

 1月31日に向けて宮古フェリーでは、これまでの感謝を込めて無料運航を計画しているほか、最終運航日にイベントも企画している。はやては現在のところイベント等の予定はないとしている。

 長年、通勤にフェリーを活用してきた50代の男性は「船が無くなることはやはり寂しい。出勤の時に船員たちが『きょうも頑張って』と声を掛けてくれたことが印象に残っている」と感慨深げに話した。

 宮古フェリーによると、伊良部島と島外との交通は古くからサバニや帆船(伝馬船)が用いられた。明治末期には渡口港から「バトンミ丸」、佐良浜港から「キイナカ丸」の2隻の帆船が就航した。

 発動機船が就航したのは1920年ごろで、渡口港を拠点に「ガラサ丸」(約7㌧)が運航し、その後2、3年遅れて佐良浜港にも発動機船が就航した。

 大戦後しばらくは、米軍払い下げの舟艇が運航されていたが、しばらくして佐良浜港から「第3旭丸」、「雄勝丸」。長山港から「勝幸丸」が就航し平良-伊良部間の航路は過当競争が展開された。

 その後、宮古フェリーとはやて海運の2社が定期就航するようになり、伊良部島の島民の生活路線として定着し、就航してきたという。

 来年1月31日は、圏域住民が待ち望んだ新しい歴史が始まるととも、ひとつの歴史が終了する日となる。


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