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行雲流水
2019年3月23日(土)8:54

【行雲流水】(下地島空港ターミナル)

 3月16、17日と宮古毎日新聞の一面トップは「みやこ下地島空港ターミナル」の記事であった。宮古島市にとって長い間の念願であった下地島空港の有効利用が現実となって動き出した記念すべき日なればこその新聞報道だろう

▼1972年、祖国復帰直前の4月に下地島パイロット訓練飛行場建設は始まった。それまでのいきさつを知る人たちは高齢あるいは鬼籍に入ったが、祖国復帰が具体的に取りざたされる中で降ってわいたようなパイロット訓練飛行場建設は伊良部島の人々に限らず宮古全体を大きく揺り動かしたことは忘れがたい

▼当時、伊良部村議会は訓練飛行場の誘致を決議したが宮古島での郡民大会は軍事施設として利用されると主張して誘致に反対した。屋良朝苗主席の琉球政府はいったん受け入れた飛行場建設を白紙に戻すと日本政府に要請し、政府も中止すると発表したものの復帰の前年の1971年に日本政府と琉球政府の間で軍事利用はしないとする「屋良覚書」が取り交わされ、復帰の年の着工となった

▼飛行場は1979年7月に供用開始され翌80年には日本航空と全日空のパイロット訓練が始まった。しかし、下地島空港の民間パイロット訓練飛行場としての歩みは順風満帆ではなかった

▼90年代には有効利用について論議されるようになり2010年代になると日本航空や全日空は下地島空港から完全撤退した▼将来を危惧された下地島空港に旅客ターミナルの建設を三菱地所が沖縄県に提案してきたことで状況は一変し、展望が開けた。2017年10月旅客ターミナル建設が着工され、今日の祭典となったことは慶祝の至りである。(凡)

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