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社会・全般
2010年5月2日(日)11:53

譜久村 悦子さん(67歳)玉城流敏風会・師範(伊良部出身北谷町在)

芸の道は人生そのもの

譜久村 悦子さん(67歳)玉城流敏風会・師範

譜久村悦子さん(67歳)玉城流敏風会・師範

 太平洋戦争のさなかに生まれた6人兄弟の末っ子は、16歳で「口減らし」のために那覇へ。子守奉公で身を立てる以外になかった。「中学のころは、子どもをおぶってはだしで学校へも行った」。そんな貧しさを体験したからこそ、今日の芸の道がある。今では琉球舞踊、歌三線をこなし沖縄芸能界の重鎮(じょうちん)とさえ言われるようになった。 


 北谷町に自宅兼研究所がある。2階がけいこ場。壁にはこれまで受賞した数々の賞状が並ぶ。3歳から70歳までの生徒が通う。那覇へは、洋裁をしていた姉を頼ってきた。姉が見つけてくれた仕事は子守奉公として洋服屋に住み込むことだった。

 17年間勤めたがその間、近くにあった舞踊研究所に通い出す。「小さいころから踊りが好きで自分で創作して踊っていた。那覇では昼休み時間を利用して研究所に通いました」


 73年に舞踊の新人賞を受賞してからは優秀賞、最高賞と続き、さらに教師免許、師範免許を取得、昇竜の勢いでその素質を開花させていった。舞踊だけでは飽きたらず太鼓、三線まで習うようになり、今では琉球舞踊・琉球民謡唄三線、舞踊地謡(じかた)と、沖縄の伝統芸能の域をほぼ習得した。舞踊と三線教室の生徒たちも毎年のようにコンクールに挑戦、多くの門下生を輩出している。


 1999年、舞踊のために始めた空手で腰にひびが入り病院に行ったところ、がんが発見され即入院手術。抗がん剤で髪の毛が抜けた。「弟子たちに賞を取らせるまでは死ねないと思った」。退院するも、再び転移が確認され3度の手術で完治した。「いつも舞台に出たいという緊張感が病魔をはね返した」


 貧しかったが、明るい家族だった。16歳で那覇に出るとき、父親が三線を持たせてくれた。那覇での生活も楽ではなかったが、芸の道へ進むことを励みにさまざまな人間関係も乗り越えることができた。「これからは、生徒たちに自分の芸を少しでも伝えられたら」と精進の日々。


譜久村 悦子(ふくむら えつこ)

1942年8月10日、伊良部島に生まれる。70年、玉城流敏風会に入門。

88年、琉舞研究所を開設。93年から太鼓を2001年から三線を始める。

97年に第1回発表会、04年に第2回発表会。08年に第3回発表会。夫・永吉さんと二人暮らし。(佐渡山政子)


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