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社会・全般
2019年5月14日(火)8:54

【行雲流水】(宮古女子高等学校)

 現県立宮古高等学校野球場のある場所に宮古女子高等学校があった。男子だけが在籍する旧制宮古中学校が開校したのが昭和3年で、それから遅れること8年、昭和11年、その名も、宮古郡町村組合立宮古高等女学校として創立された。その後、県立になり、戦争の時代を経て、戦後の学制改革により宮古女子高等学校に改められ、昭和29年に宮古高等学校に併合されて、女性教育の殿堂、宮古女子高等学校はその幕を閉じた

▼その間、戦争の惨禍や、台風被害の試練に耐え、女子教育の殿堂として、地域の期待に応えた。初代後援会会長として、長年にわたり学校の発展に協力した福嶺紀仁氏の保管してあった校報『しらゆり』の数冊に、当時の学校の目指す理想像や校風を読みとることができる

▼1949年発行の『しらゆり』創刊号には、当時の金城英浩校長が「民主的学園の建設」と題して書いている。「民主的学園とは、自他の敬愛の念の上に立つ、自主的精神と協力の精神の漲る師弟道の確立された学園である」

▼校歌はうたう「黒潮おどる南の/太平山の島が根に/黎明の陽を仰ぎつつ/そびえて建てる学び舎は/愛と平和のさきがけに/真白き百合を掲げたり」

▼運動会では、整然と並んで踊る「ドナウ河のさざ波」などが、観客を魅了した。また、演芸会についてひとりの生徒は書いている。「やじを飛ばしていた高校生も劇『母の愛』では感激したに違いない」

▼高い理想と白百合の純潔を体現した「宮古女子高等学校」は歴史にその名を気高く刻んでいる。(空)


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