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花は島色
2018年4月1日(日)8:54

【花はしまいろ】下地光吉さん(60歳)三栄工業常務

仲間との思い出話が楽しみ

下地光吉さん

下地光吉さん

 【那覇支社】昨年12月に還暦を迎え、「ゴルフとスポーツ観戦が趣味」と話すのは、下地川満出身の下地光吉さん(60)。那覇市にある空調設備工事や水道施設工事を手掛ける三栄工業の常務として、数々の現場に目を光らせつつ、行政や民間企業との折衝業務を担っている。楽しみは「年に2回ほど宮古島に戻り兄貴や地元の仲間とオトーリを回して思い出話をすること」と笑顔で語った。

 下地小・中、宮古工業高校を卒業し、その間、さまざまなスポーツにチャレンジした。小学生の時は地域の野球チームに所属。中学からはバスケットボール部、高校ではハンドボール部でレギュラーとして活躍した。スポーツは大好きだったが、「性格的には大人しいタイプだった」と照れ笑いを浮かべる。

 高校卒業後は、東京の機械設計の会社に就職した。そこでは大手製鉄会社の高炉から出て来る真っ赤な鉄に刻印を打つ自動鉄刻印機の設計図などを描いていた。また、大手製鉄会社に出向し、さまざまなプロジェクトにも参加。一番の思い出は、石川島播磨重工業(当時)が日本で初めて開発していたトンネルを掘る大型掘削機の設計に携わったことだと当時を懐かしむ。

 東京に憧れて約4年間を過ごしたが『東京は一生住むところではない』と感じ、沖縄本島へ戻ることを決意。沖縄に戻り、三栄工業に入社した。配管やダクト、空調設備の施工図面を描く技術部に配属された。

 最初に担当したのは沖縄市民会館建設工事で、先輩から施工図面の書き方を叩き込まれた。持ち前の『アララガマ魂』で、入社2年目には現場監督に就任。石垣島に2年間出向き、ホテル日航八重山(現・アートホテル石垣島)の建設に携わった。

 その後、所長として「石川市役所」(当時)や「米軍の高層住宅」、「パレットくもじ」などの大型プロジェクトを次々に任され取り仕切った。

 その実績が認められ、40歳で技術部の部長に抜擢された。「大きな現場を任され大変なこともたくさんあったが、その分やりがいが大きく仕事に打ち込めた」と話す。その他にも、工期が大幅に遅れた現場を引き継ぎ、なんとか挽回してやり遂げたほか、東京営業所の売上げが伸びず厳しい状況の時に大手ゼネコンからの仕事を受注して立て直しを成功させた。

 45歳で取締役部長に昇進し、4年前の56歳で常務取締役に就任した。現在は、那覇空港のターミナルなど県内外の15カ所ほどの現場を管理しながら、公共工事の入札金額の決定や民間工事の金額交渉など重責を担っている。

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