川満 信子さん(79歳)/袋物技術指導者
物作りへ新たな挑戦
「八十路を目の前に新たな挑戦です」と張り切る川満さん。7月半ばから市内のスタジオ・ゆいで、袋物や衣類などの作品展を開催、宮古織りの独特な色合いや斬新なデザインで参観者を魅了した。中でも鮮やかな紫色を醸すバックや小物入れは、特許を取得した「ハイビスカス花弁を用いた染色方法」で染められ、多くの目を引いていた。
6人の子育てを終え、これから自分の時間がもてると思ったのもつかの間、53歳で夫が他界、本当の意味での自立を迫られる。「物作りを楽しむ人生にしようとわくわくしていた矢先の夫の死別、立ち直るのに約1年かかった」と辛い当時を振り返る。
1970年代から80年にかけて、女性の社会進出と自立を目指した講座が頻繁に開かれた。沖縄県婦人就業援助センターの技術講習会もその一つで、川満さんも80年に和装を、80年に袋物を受講、師範の免許を取得した。こうした前向きな性格が第二の人生を物作りへと向かわせた。自宅では「袋物教室」を開いて生徒たちを指導し、婦人学級の講師を務めたり、忙しくする中で悲しみも癒えていったと話す。
糸績みも織りも染めも一人でこなせるのは強み。上布は高くつくので、誰でも手に出来るようにと、布を現代風に衣服やバックなどにアレンジ。袋物といってもバックをはじめ、お祝儀入れ、足袋入れ、名刺入れなどさまざま。ちょっとした端切れも川満さんにとっては宝物。今回の展示会でもこうした色とりどりの布をあしらったバックが人気となった。
「80も近いし、もう物作りはやめようと思って3年前、これまでの集大成に感謝展を開き、その後は一線を画してきた。最近、素敵な出会いがあって再び物作りへの思いが募った」という。宮古のブー(苧麻糸)を愛し、染め、織り、袋物の製作、あらゆる行程を体験してきた川満さん。「私の持てる技術を一人でも多くの女性たちと分かち合いたい」と新たな挑戦を始めた。
川満 信子(かわみつ・のぶこ)。1932年12月20日、狩俣に生まれる。98年、京都川島テキスタルスクールにて染色A修了。97年、平良市制50周年記念の産業部門で上布の袋物が特別表彰。同年、県離島フェアでも奨励賞受賞。99年、沖縄県テキスタル推進会で北イタリア視察・調査の旅へ。2000年、「宮古の染・織り」で旧宮古支庁ロビー展、同年、社会教育表彰、01年、アジア苧麻会議(福島県)に参加。