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ペン遊・ペン楽
2011年10月26日(水)23:05

図書館の亡霊/下地 博之

2011.10.27 ペン遊ペン楽

 

 あれはたそがれ時だった。仕事帰りに私用をすませ、マクラム通りを給油所側から港に向かって走っていた。そのとき、ぼくの左眼の片隅に見えたのだ。青白くぼんやりとした巨大な箱が。


 「あれっ、今のは」通り過ぎてすぐ市役所側に車を止め、後に眼をやった。すると、消滅していたのだ。かつて琉米文化会館と呼ばれ、その後は何十年も平良市立図書館として、この街の人々にささやかな潤いと情緒を与え続けていた建物が。さら地には数台の車が何かを忘れたように止まっていた。

 あの青白い巨大な箱は何だったのだろう。おそらく近代合理主義者なら「眼の錯覚でしょ」とか「疲れのせいだ」でかたづく話だろうが、ぼくはニーチェや老子にかぶれている新古代人を自認しているので「無名の領域」を信じている。だからぼくは「図書館の亡霊を見た!」と主張することにした。

 この地上に未練を残したものはすべて亡霊になるのだと思っている。淋しい亡霊になるのだと思う。図書館も例外ではない。図書館も淋しかったのだ。

 良心的な市民グループが保存活動のために奔走したとき、図書館は涙を流していたのだろう。うれしくて。しかし、無残にも想いは叶えられなかった。

 長年のうちに図書館には人々の思い出が残留思念としてたまり続け、巨大なエネルギーの場を形成していたのだ。人の思念は一種のエネルギーである。そして、そのエネルギーを吸い込み続けた図書館も生きていたのだろう。その残留エネルギーが亡霊として見えたのだろう。おろかな発想だろうか。

 あの図書館が好きだった。樹々に囲まれ、こじんまりとした佇まいに無性にひかれた。思い出もいっぱいある。小学生の時、平一だったぼくは図書館の庭で他校の悪ガキに因縁をつけられた。中学の時、定期テスト前になるといい勉強場所になった。しかし、冬は底冷えした。今は東京で大成功している同窓のT・Sはくつ下を2枚重ねでがんばっていた。高校の時、専門は化学だが、美術好きの担任に誘われて図書館の2階で催されていた、おそらく宮古では初めての本物の絵画展を観に行った。うろおぼえでミレー以外は誰のどんな作品があったかは不明だが、確かなことはミレーの「種まく人」の真っ黒でよくわからなかったが独特の存在感をかもしだす油絵のマチエールというものをそのとき、初めて知った。ネットで調べると、この作品は現在、山梨県立美術館が所有しており、他にも多くのミレー作品をコレクションしているので、もしかしたら山梨県立美術館の移動展だったのだろうか。さらにわれらが宮古の「種まく人」平良好児も、この展を観ていたはずだ。ある時期は1階が子供向け専用となり、2階が大人用になった。その空間にただよう濃密な静寂が、なぜか無性に詩集を読みたくなる空間だった。…。

 その図書館は今はもうない。青白い亡霊が佇み風が舞っているだけだ。世界に残された最後の「霊性」までも、近代合理主義の最高形式である新自由主義は、根こそぎ奪っていきそうだ。
(歯科医師)

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