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2012年3月24日(土)23:38

山里 賀徳さん(84歳)/一級建築士・俳人

趣味の俳句が元気の源

 

山里 賀徳さん

山里 賀徳さん

 夏帽子吹かれて遊びままならずー。6年前から毎年投句しているNHK全国俳句大会で昨年は秀作に輝き、1月の受賞式で上京してきたことを楽しそうに話す。建築士だった山里さんが趣味に目覚めたのは12年前、書道を始めたのがきっかけ。その後、書の仲間に勧められ俳人・故山田弘子の句碑開きに投句したのが俳句との出会いだった。6年前心筋梗塞で即入院・手術。始めたばかりの俳句が対岸から引き戻してくれた。


 「一刻を争う状況だったようだが、幸いに先生たちの手早い処置で一命を取り留めた。それから毎日ベッドで暇をもてあまし作句に励んだ。看護師を呼び止めては披露し、句友に添削を頼んだりして1日20句以上は作った」と笑う。こうして回復は早く、1カ月で退院できたことに回りも驚いたという。「多分、作句が頭の体操になったのかな」とさらり。

 戦時中は、兵庫県の軍需工場で働いた。帰ったのは19歳で、大工見習いから現在の仕事にたどり着いた。戦後は校舎建築のラッシュだった。知人のつてで平良市教育委員会に入り学校建築の監督に就いた。サラ・コラ・デラの台風の後が大変だった。最初、平良区だけだったのが、宮古連合区に範囲が増え、車も少ない時代にオートバイで全島回った。「もちろん、当時の鉄筋コンクリートブロック造りの校舎は一つも残っていない」

 35歳で自立、土木建築業を始めるも、縁あって再び平良市役所に入庁、建設課長のころ、通信教育などを活用して49歳で一級建築士の免許を取得する。10年以上勤めた役所を退職して51歳で自立、事務所を構える。1990年からは、息子たちも参加して親子で設計事務所を経営。現在は、主な仕事を子どもたちに任せ、悠々自適の毎日、趣味にも時間を費やせるようになった。

 月に20句以上は作る。NHK俳壇、俳句雑誌「円虹」、地元の俳句サークル「綾舟」と「麻姑山俳句会」に3句から5句投句、「寝ても覚めても俳句、一日一句は作ろうと努力している」と話す。元気の秘訣は「たばこも酒もやめた。今は適度な運動と友人らとの語らい、そして俳句」と健康そうな笑顔が返ってきた。

 山里 賀徳(やまざと・がとく)1928年3月5日、平良下里に生まれる。63年、2級建築士で土木建設事務所開設、79年一級建築士事務所開設、90年に現在の「ヤマサト設計」に。2005年に「円虹」同人、同年からNHK俳壇に投句、5回入選。妻・フミさんとの間に4男、孫8人。

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