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ペン遊・ペン楽
2013年6月26日(水)22:30

死は私にとって憧れです/垣花 鷹志.

-愛楽園に里山るつさんを訪ねて-
2013.6.27  ペン遊ペン楽

 私は時々、愛楽園に元ハンセン氏病の方々をお訪ねし、好きな賛美歌や愛唱歌をオカリナで吹いてさしあげていますが、何年か前、里山るつさんという方の誕生日のお祝いに伺ったことがありました。


 るつさんの84歳(当時)の旅路は山また山、谷また谷の苦難の連続でした。父は生まれて間もなく3歳上の兄を残して亡くなり、残された母が日用品などの行商をして女手一つで育てていましたが、るつさんが12歳、兄が15歳のときに、2人してハンセン氏病を発病します。大きなショックを受けた母は、病に倒れ、心中を決意してつるさんに農薬を買いに行かせます。そのことを叔母にだけは話しておこうと思い、訪ねました。驚いてかけつけた叔母の説得により一命を取りとめましたが、翌年、その母が39歳の若さで旅立ちます。そしてその翌年、兄と2人して鹿児島県の星塚愛誠園に入園します。その3年後に苦難の中にあって寄り添い、励ましあってきたたった一人の肉親の兄が亡くなります。さらに不幸は続き、その3年後、20歳の若さで光を失います。

 これまでいろいろな人のいろいろな不幸を見てきましたが、これほどの苦難・不幸に人が耐えうるものでしょうか。私なぞ、この中のひとかけらでも飛んできたら、あのヨブのように「私の生まれた日は亡び失せよ」(旧約聖書「ヨブ記」)と自分の生をさえ呪ってしまいます。

 このような苦難の中を生きて来られながら、別れ際、るつさんが両の手で私の手を包みながら、「垣花さん、私は今日まで生きてきて良かった」とおっしゃったことばには驚かされました。もう一つ、今でも心の中に響いていることばがあります。「死は私にとって憧れです」ということばです。

 「太陽と死は見つめることができない」と言います。人間のことを、英語でmortalと言いますが、別に「死すべき者」の意があります。蛙たちも死すべきものですが、意識がありませんから、明日はハブの餌になることも知らずに、うれしそうにゲロゲロと鳴いています。しかし、人間たちは、死なないうちから、死の不安に襲われます。鬱の人たちは生きているのはあまいなんぎ(難儀)と死を願います。自殺念慮です。なのに、るつさんはこの世の旅路の地平線の向こうに待つ恋人に会いにでも行くかのように、「死ぬことは憧れです」と言うのです。

 るつさんが一番好きな賛美歌は、312番です。「世の友われらを捨て去るときも祈りに応えて労りたまわん…」、私のオカリナに合わせて歌うるつさんの祈りのような歌声が、屋我地島の潮風に乗って流れていきます。るつさんの死への憧れの底にはキリスト教への深い信仰があります。地平線の向こうで待つ、るつさんの恋人とは、この世の旅路での苦難を労り、支え、共にしていたイエス様のことです。

 神様に馴染みのない方々でしたら、向こう岸で待つ、愛する父や母、夫や妻、子を思い浮かべてみてはいかがでしょうか。死への不安が憧れに変わり、向こう岸に渡りやすくなると思います。寂しさも和らぐことと思います。
(宮古ペンクラブ会員・琉球大学法文学部非常勤講師)

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