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2014年8月24日(日)8:55

平良 勝之さん(65歳)/ホテルニュー丸勝社長

野球が導いた人生


平良勝之さん

平良勝之さん

 「丸勝」は宮古島ではつとに知られる老舗の名だ。平良西里通り中ほどに開業した百貨店が始まりだ。3階建ての屋上にミニ遊園地を備え、本土復帰往時としては珍しく、多くの客を誘った。その企画力と実行力が「丸勝」の息子で、現在「ホテル丸勝」社長の平良勝之さんにも備わっているようだ。

 平良さんは昔も今も野球少年だ。小学生のころ始めた大好きな野球は、中学、高校と続いた。さすがにレベルの高い大学(東洋大)では一時休止となったが、卒業し帰省すると、家業を手伝う傍ら地元の同期らとチームをつくり野球に興じた。それは60代半ばに差しかかった現在も続いている。

 でも、平良さんにとって野球は単なる道楽にはならなかった。家業に精出す一方、地元青年会議所に入ると「子どもたちに目標を与え、その育成の一助になればと思い、少年野球大会を企画しました」と平良さん。その大会は36年間続いている。その間、家業はホテル業に移った。「観光の時代がやってくると感じました。元プロ野球巨人監督の川上哲治氏や長嶋茂雄氏を島に招いたのも、話題をつくり宮古島の知名度を上げたいというのが狙いでした」その後、下地米一市長の誕生が大きなきっかけをつくる。

 宮古島へのアクセス向上を図って、東京直行便実現に向けた活動が高まっていた折り、「市長から、若者の知恵を出せと言われました。そこで出てきたのがプロ野球球団のキャンプ誘致でした。市長は若者の企画に応じてくれました」と、ここでも野球が絡んでくる。

 その後、直行便が飛び、オリックス球団のキャンプが始まったのは多くの知るところだ。

 その後も平良さんと野球の関わりは続く。ホテル経営の向上の方法として、大学や社会人の野球チームの誘致にも力を入れた。これも成功する。現在、春ともなると多くの大学や社会人はもとより、高校や果ては陸上の実業団チームまでが宮古島でキャンプを重ねている。

 平良さんは野球が縁で多くの人々との交流が続いている。それはイチロー選手に代表されるプロ野球や三井住友陸上部所属でオリンピック選手の渋井陽子選手など枚挙に暇がないほどだ。

 それでも飽きたらず平良さんは「宮古球児を甲子園に送る会」と称して、島の野球少年たちを支援している。インタビューの始めに「沖尚(初戦)が勝って良かったよ。暗いインタビューは嫌だからね」と豪快に笑っていた平良さん。「たかが野球、されど野球」の人生は続く。

 平良 勝之(たいら・かつゆき) 1949(昭和24)年3月10日生まれ。平良第一小、平良中、宮古高校、東洋大学卒。彰子夫人との間に5男1女。平良字西里出身。

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