史実の継承、節目に誓う/祈念碑建立15年で集会
国内外から研究者ら参加/「慰安婦」問題
「日本軍『慰安婦』問題を考える宮古の会」主催の「宮古島『慰安婦』の祈念碑建立15周年から考える宮古の過去と現在」の集会と、その節目の集いが10日、市未来創造センター多目的ホールと上野野原の祈念碑前で開かれた。国内外から研究者や専門家、沖縄大学国際コミュニケーション学科の学生ら約50人が参加。「慰安婦」の歴史にしっかりと目を向け、被害を受けた女性の尊厳を守るためにも15周年の節目に史実の継承を誓った。
同碑前で行われた集いでは、宮古島にいた「朝鮮人慰安婦」についての証言者で、祈念碑の土地を提供した与那覇博敏さんから当時の説明を受けた。
与那覇さんは、この島にも戦争中は「慰安所」があり、女性たちが屈辱の思いで過ごした日々に目を背けることなく、同じ過ちを繰り返さないためにもこの歴史の記憶を受け継いでいくことの大切さを呼び掛けた。
同学科の池村瑠莉さん(3年)は「これまで『慰安婦』の問題を詳しく聞いたことはなかったので、とても勉強になった。沖縄本島だけでなく宮古島でも戦争中は、こうした悲劇があったことを学べて良い機会になった」と話した。
未来創造センターで行われた集会では、「みやこ九条の会」の仲宗根將二さんが、県や旧平良市の戦争体験の聞き取り調査に参加してきた中で、学び感じた「慰安婦」問題について紹介した。
「この問題が1990年代に表面化してもう30年になるが、この国の政府は「慰安婦」の方々に公式に謝罪していないどころか、そういうことがなかったかのようなことを言いかねない状況が起きている。政府のありようは残念であり、日本人の一人として申し訳ない思い」と述べた。
さらに「父の話では平良の街中にも3カ所あったと聞いた。私の通学路にもあり、兵隊が行列をしていた。残念ながら当時は小学生でどういう行列か知らなかったが大人になり、戦争体験を調査していく中で『慰安所』であったことがわかった」と述べた。
そのほかにも仲宗根さんは、自らが調査に参加した1970年代は、戦争そのものの聞き取りは行ったが「慰安婦」についての知識が乏しく、十分な調査ができなかったことが心残りであることも吐露した。
参加者に向けては「可能な限り、この国の政府に公式に謝罪させ、『慰安婦』の皆さんに人間としての尊厳を回復させる取り組みが引き続き必要だ」と訴えた。